統合は死んだ、だがEUは生きている 国家でも単なる国際機関でもない、等身大のEUとは?

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たとえば同様にマスコミによく登場する真壁昭夫氏は、2009年のEUリスボン条約誕生に伴ってアップビートな解説を寄稿し(「米国主導の世界地図が塗り替わる?EU『連邦国家化』への期待と警鐘」(『ダイヤモンド・オンライン』同年10月13日)、「今、世界地図が大きく変わろうとしている。今まで、いくつも国に分かれていた欧州が、一つの連邦国家=「ユナイテッド・ステーツ・オブ・ヨーロッパ」へと変貌しようとしている」と、それまでの60年近くにわたるヨーロッパ統合の歴史的経緯を捨象し、その時点でまるで天地が創造されるかのごとく劇的な叙述を試みている。同じ論者が、ユーロ危機後に寄せている、まるで正反対の否定的なコメントを一瞥するとき(「スペイン、ギリシャ情勢次第では世界恐慌も? 幻想に囚われたユーロシステムの『本源的な欠陥』」『ダイヤモンド・オンライン』2012年6月19日)、いかにEUの評価が定まっていないかが見て取れるだろう。

ここでの眼目は、もちろんこれらの論者の是非にあるのではない。問題は、そうした評価の乱高下に伴って、日本におけるEU理解が著しく妨げられているということにある。その背景は、案外根深い。

EU≠統合――国家ごっこの終焉

端的に言うと、その背景には、〈EU〉をあくまで〈統合〉イメージで語るという誤謬がある。前者のEUは統治機構としてそれなりに安定しており、およそ加盟国の政治・経済・金融エリートでそれを前提としない者はほぼいないといってよい。他方、ヨーロッパ「統合」は、右肩上がりか、そうでなければ一歩前進半歩後退のようにブリュッセルへの集権化が進み、目的論的に連邦国家に近づくという物語であった。その二つがもはや同じ像を結ばなくなってきているのにもかかわらず、いまだにEUは統合し(なければならず)、その限りで成功を収め続けないと崩壊するものとして語られる。これは、動きを止めると倒れる自転車イメージに喩えられてきたのだが、それが問題なのだ。

たしかに、歴史的に言えば、ほとんど何もなかったところから石炭鉄鋼共同体(ECSC)が誕生し、その後EEC、ECと「統合」を積み重ね、現在のEUへと発展してきた。そこでは、市場、通貨、市民権、憲法、軍隊、はては元首と、フツーの連邦国家にあってEUにない国家の属性が政治課題を導き、次々にそれをクリアすることで欧州合衆国に行きつくというシナリオがどこかで想定されていたのである。逆に言うと、そこに行きつかない限り、不安定な存在と見なされてきた。

〈通貨〉の統一にたどりついた20世紀末から21世紀当初までは、そのような連邦国家建設を夢見るひとは残っていたかもしれない。しかし、2005年、フランスとオランダというECSC以来の原加盟国が欧州〈憲法〉条約を国民投票で葬り去り、その二年後「憲法概念は放棄」とEU首脳が明示的に合意したとき、そうした「統合」物語もまた放棄されていた。フランスやオランダ、はたまたイタリアやポーランドのような国民国家は限りなく永遠で、それらは欧州合衆国において融けてなくなるわけではないという当たり前のことが確認された。2009年末以降のユーロ危機もまた、「統合」の中核的なプロジェクトである共通通貨を襲っただけでなく、その過程で加盟国(民)間の深い分断をさらけだした。連邦に向かう「国家ごっこ」はとうに潰えているのである。

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