「電王戦」に見た、人だからこその創造性 機械に取ってかわられるか「やはり人が大事」か?

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商業論が探したのは、現実的な「役割」に「機能」

商業論では、この世界にどうして商業や商人が存在しているのかを考える。メーカーと顧客がいれば成り立つ経済にあって、その間に商業が介在する理由は謎だ。そこで商業論は、現実に存在する商業を調べながら、その役割や機能を探し始めた。

商品を大口で買い取ってくれる機能、在庫リスクを引き受けてくれる機能、消費者がいるところまで運んでくれる機能、消費者側から見れば、たくさんのメーカーの商品を集約してくれる機能などが考えられた。

機能がわかると、今度は、それが商業に固有かどうかが問題になった。近年、卸売業者は中抜きされることも多いが、この場合、卸売業者がいなくなっても、その機能は、メーカーをはじめ、別の誰かが担うようになったと考えることになる。

ある祭りの一場面。そろいの衣装を身にまとう人々(撮影:大隅智洋)

この見方は、社会学の定番ともいえる機能主義、すなわち、世の中の出来事には、存在している以上何かしらの意味があるという理解に該当するようだ。

たとえば、定期的な祭りには、単に楽しいだけでなく、社会に溜まった不満や鬱憤を吐き出させ、再び安定化させる機能があると考えられる。

当然、不満や鬱憤の解消は、祭りにしかできないわけではない。苦情を受け付ける窓口や、デモやストライキといった運動なども、同様の機能を持っているだろう。各活動は機能的に等価であり、機能の果たし方を選ぶ際には競合関係になる。

こうして、人と機械の戦いも、機能主義的に理解されることがわかる。人と機械のどちらが強いかという問いは、どちらがその強さという「機能」をうまく実現するかを問うているのだ。

「機能」の後付けでなく、「目的」の革新を捉える

しかし社会学に少し詳しい方であれば、この機能主義的な理解が、やや古典的であることをご存じだろう。

確かに、商業は大口購入や、在庫リスクの引き受けという機能を持っているように見える。だが、これらはあくまで後から考えられた機能であり、当の商業者たちが、そうした機能を果たそうとして事業を始め、日々活動してきたかどうかはわからない。

祭りも同様である。確かに社会のためになる意味があるかもしれないが、実は楽しい以上の意味はなかったのかもしれない。

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