ノーベル経済学賞とは、いったい何なのか 受賞者に強烈な「権威」を与えてきた

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彼らは、フリードマンの社会的発言には「ノーベル賞」の権威づけがあるので、十分に信用に値すると思うだろう。だが、フリードマンとは正反対の社会的発言(自由市場の限界と政府による経済管理の必要性を主張すること、インフレは貨幣政策だけでは抑制できず、必要に応じて財政政策や所得政策などの手段も組み合わせる必要があることなど)をしてきた経済学者(多くはケインジアンだが)も同じノーベル経済学賞を受賞しており、彼らの学問的業績も専門分野に応じて多様なのだから混乱は深まるばかりである。

最近では、ポール・クルーグマンの例がある。彼は、「貿易パターンと経済活動の立地に関する分析」によってノーベル経済学賞を受賞したが、メディアに登場する彼は、しばしば「ケインジアン」(ポール・サミュエルソンが説いた「新古典派総合」に近い)的な立場でロバート・ルーカス以後の新古典派を批判し、最近の世界的不況に際しては中央銀行が「インフレ目標」を掲げて金融緩和を進めることを提言してきた。

だが、これらの提言は、彼の受賞理由にある国際貿易や経済地理学とは何の関係もないのだ。それにもかかわらず、クルーグマンの言説が注目されるのは、彼が「ノーベル賞」の権威に支えられているからに他ならない。

選考委員会も世間の評判を気にしている

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もちろん、こう書いたからといって、ノーベル経済学賞の受賞者たちがそれぞれの専門分野において優れた業績を上げてきたことを否定しようというのではない。ただ、経済学においては、一つの問題でも経済学者のアプローチの仕方いかんによって異なる解答が出てくることがままあることを伝えたいだけである。ノーベル経済学賞の受賞者がこういったから、「それが正しい」ということには必ずしもならないのだ。

経済学賞の歴史を振り返ってみると、選考委員会も結構世間の評判を気にしているような風があり、とても興味深い。1997年に金融工学上の業績で二人の学者が受賞したとき、折しもアジア通貨危機や受賞者が関係していた会社の経営破綻が続き、世間の目は経済学賞にあまり好意的ではなかった。

ところが、翌年アジア人としては初、アマルティア・センが「厚生経済学への貢献」によって受賞者に選ばれた。ベンガル飢饉の経験から経済学を志し、低開発国の貧困問題にも多くの発言をしてきたセンの受賞をマスコミは好意的に伝えた。だが、マスコミのなかにも、センの社会的選択論における仕事を正確に評価できる者は少ないはずだ。このような例がたくさんあれば、経済学賞のウォッチも面白いかもしれないが、私自身は今回の本でいうべきことは各章の執筆担当者が言ってくれたので、しばらくは静観することにしたい。

講談社『本』11月号より)

根井 雅弘 京都大学大学院経済学研究科教授

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ねい まさひろ / Masahiro Nei

1962年宮崎県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。現在、京都大学大学院経済学研究科教授。専攻は現代経済思想史。経済学の歴史を丁寧にひもとき、経済学者らが残していった思想や考え方を、多くの読者に伝えつつ、経済学のさらなる発展に努めている

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