「契約理論」はわれわれの身近で役立っている 2016年ノーベル経済学賞2人の重要な業績

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彼らの理論によると、販売者による顧客リストへの投資が生み出す価値が大きい場合には、独立系代理店が選ばれることになる。実際に米国のデータによると、満期更改において販売者の影響が大きい損害保険では、影響が小さい終身生命保険と比べて独立系代理店で販売される割合が大きい。

ハートはジョン・ムーア教授との1990年の共著論文『Property Rights and the Nature of the Firm』Journal of Political Economy Volume 98, Number 6 | Dec., 1990)で、この枠組みを人的資産を除く各資産(土地、工場、設備、顧客リスト、ブランド・ネームなど)が多数の所有者、非所有者(従業員)によって利用される状況に拡張し、企業の境界の「財産権理論」を確立した。

彼らの理論では企業とは人的資産を除く資産の集合体である(人的資産は所有できないので除かれる)。資産の所有者は資産の利用から従業員を排除する権利を持ち、その権利を通して交渉力を得る。その結果、取引価値を高めるための投資を行うインセンティブは所有者の方が従業員よりも強い。また、従業員に資産を与え、独立させることによって投資インセンティブを高めることができるが、手放した側の投資インセンティブは低下する。

彼らの理論では、複数の資産および投資を行う人々の間の関係がもたらす投資インセンティブが、統合かアウトソーシングかの選択を決定する。この理論は、1995年に出版されたハートによるオックスフォード大学での特別記念講演の講義録『Firms, Contracts, and Financial Structure』で洗練された形で整理されている。これは、日本語訳 『企業 契約 金融構造』(鳥居 昭夫 訳、慶應義塾大学出版会)も出版されている。

「不完備契約」の応用範囲は広い

ハートと共著者たちによって開発された不完備契約アプローチは、さまざまな問題に応用されている。契約と「企業の境界」の問題を国境を越えて考察すれば国際貿易と結びつく。契約が不完備な状況で、海外に子会社を設立して多国籍企業として展開するか、現地の会社と取引するネットワークを構築するか、などの問題は、21世紀に入って新たに不完備契約アプローチによって盛んに分析されている。

国営企業を民営化するかどうかという問題も重要な応用分野である。決定権の配分という視点からみれば、組織でどの程度権限委譲を行うか、イノベーションの権利を従業員に与えるかどうか、などへの応用がある。

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