東大を3度落ちた男が辿り着いたカフェ経営 映画や穀物栽培など手がける人気店の裏側

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ある日、同級生の誕生日会のために友人宅を訪問したところ、その家にはケーキはおろか、飲み物もローソクも、飾り付けもありませんでした。少し驚いていると、奥から起きたばかりと思われる破れた下着姿の同級生のお母さんが、「あんた、何にも用意していないじゃない!」と言いながら、友達をひっぱたき、サイフから千円札を渡して「なんか買ってこい!」って言ったんです(笑)。

――破れた下着姿……強烈な、友達のお母さん(笑)。

井川氏:もう、こっちもなんだか圧倒されて「いえ、おかまいなく」とか言っちゃって(笑)。そのとき、「ケーキは自分で買ってくる家もあるんだ。ああ、ぼくは世間のことを何にも知らないな」と、思い知らされました。

そういう状況にあって、ぼくは徐々に家の外の世界を知っていくわけですが、それはあくまで自分だけの変化で、東京を標準にしていたウチでは、「東京の子」と同じように全国模試を受けさせられたり、そこでの成績が優秀な子どもたちが集まる合宿に参加させられたりしていました。その合宿で、「東京の子」たちから、思いもかけずバカにされたことで、最初のプチドロップアウトは始まりました。

――どんな仕打ちを受けたんですか?

井川氏:仙台といったら「“おしん”だろ」とか「大根メシ食ってんだろ」などとからかわれたんです。その時「ああ、こいつらはあの破れた下着姿のおばさんの苦労なんて知らないんだな、世の中にはお前たちの知らない社会があるんだ、バカヤロウ」と思いましたね。

彼らの世界で一緒に、偏差値を追うことのバカバカしさと、無意味さを感じて、一緒の価値観にいるのはあさましいことだと、みずから受験することを辞めてしまいました。そこからですね、王道からどんどんずれていったのは(笑)。

『北の国から』で受けた衝撃

文化祭で映画の脚本を担当することに

井川氏:中学2年の頃、仙台から東京に戻ってきました。やっぱり東京は都会で、同級生も仙台とは違っていて、どこか進んでいる感じがありました。そんな彼らと、その年の文化祭で、映画を撮ることになったんです。テレビドラマの黄金期で、テレビっ子だったぼくは、向田邦子、山田太一、倉本聰が脚本の連続ドラマをたくさん見ていたので興味があり、脚本を担当することになりました。

題は「W.C(トイレ)の悲劇」で、本家『Wの悲劇』の足下にも及ばず、比べ物にもならないくらい退屈で、脚本として非常につまらないものでしたが、これが後々の進路選択にまで影響することになります。

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