近松門左衛門、生誕地の通説に新たな動き

元福井大教授が新説を発表

「近松は鯖江で誕生した可能性が大きい」と調査結果を語る三好修一郎さん=16日、福井市内

江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作者、近松門左衛門の生誕地が通説では福井県福井市といわれてきたが、同県鯖江市の可能性が大きいことが16日までに、同県越前市武生公会堂記念館の三好修一郎館長(66)=元福井大教授=の調査・研究で分かった。鯖江は近松が「幼少期を過ごした地」といわれてきたが、「生誕地」とされる可能性が膨らみ、近松研究や町おこしに一石を投じそうだ。

近松の父杉森信義は第3代福井藩主松平忠昌に仕え、忠昌没後は、子の昌親に分知された鯖江の吉江藩で藩主昌親に仕えた。

鯖江はこれまで「幼少期を過ごした地」だったが

昌親が吉江に入部したのは1655年で、近松はその2年前の53年に誕生した。このため、昌親と家臣団は吉江以前は福井に居住し、近松は福井生まれというのが通説になっていた。

ところが福井藩に関する資料から、昌親は46年に母親と妹とともに江戸に下向し、江戸在住だったことが判明。さらに三好館長は、昌親の吉江入部1年前に家臣が連名で出した関所の通行手形を発見。昌親の母の召し使いとして吉江村から4人の女が派遣されたことが記され、既に家臣団が吉江に居住し、藩政に関わる執務を行っていたことを明らかした。

また、吉江藩との交流が深かった西光寺(鯖江市杉本町)に宛てた江戸の昌親からの書状に、国家老格の家臣高屋善右衛門の名前が書かれるなど、藩主が入るまで家臣が藩政を取り仕切っていたことがうかがえた。

これらの調査を踏まえ三好館長は、家臣団の一員だった近松の父信義も藩主入部以前から吉江に住んでいたと推測。「近松が吉江に生まれたことを直接証明するものではないが、今のところは近松が吉江で生まれたと考えるのが最も穏当。さらに裏付けとなるものを探したい」と話している。

地域住民らでつくる自主研究グループ・近松(ちかもん)倶楽部の林哲治代表(60)は「鯖江はこれまで『幼少期を過ごした地』だったが『近松が生まれ育ったまち』と言えるようになり、町おこしに弾みがつくことがうれしい」と感想を話し、今後は「近松が鯖江のどこに住んでいて、鯖江の風土が作品にどんな影響を与えたのかなどの研究が深まれば」と期待していた。

近松門左衛門(1653~1724年)

近世文学の最盛期といわれる江戸・元禄時代に浮世草子の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉と並んで元禄3大文豪の一人にたたえられた。15歳ごろまで吉江で過ごし、京都に移り、浄瑠璃作家となった。「曽根崎心中」「国性爺合戦」などが有名。福井県にゆかりのある作品では「傾城反魂香」などがある。

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