神社が「政治的存在感」を増している根本理由 日本会議の源流を作り改憲運動で中心的役割

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──現行憲法はもちろん政教分離です。

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今の憲法は天皇に国事行為しか認めていない。GHQは寛容で、天皇家、皇室としての祭祀は認めた。プライベートな位置づけだ。これに対し、天皇の祭祀は国家や国民のためであるから、元首としての天皇の公的な祭祀として位置づけ、憲法上認め、伊勢神宮など中枢の神社は民間ではない位置づけにしたいという気持ちの人が神社界にはいる。だから改憲が必要だという主張になる。

──実際は多様なのですね。

考えにいろいろなバリエーションがある。戦後世代には国民主権、民主主義、政教分離は当然として、そこまで変えようとせず、部分的に祭政一致を復活させたい、という気持ちの人も多い。つまり戦後の体制を前提にしたうえで部分的に修正したいと思っている人がそうとういるわけだ。実際は議論がない交ぜなので、戦前回帰を危惧するとの批判は無理もないし、他面で、戦後憲法を受けて、微修正、部分修正で変えていこうという考えの人も少なくない。そこは神社界でも甲乙はっきりとは議論されていない。

祈りと巡幸の相互補完的な関係

──そこに、天皇の生前退位を含意したメッセージがありました。

天皇のメッセージは重いし貴重だ。たとえば、祈りを自分の務めとしてかなり強く言っている。祈りと巡幸は相互補完的な関係にあるといわれている。象徴天皇として国民とともに歩むのが大事だとして、特に困っている人たちのところに自ら出向き勇気づける。そうすることで、自らの祈りも深まるというのだ。

現地を回れなくなったら自分は退位するというのが主旨。これは国民の神道を体現している。憲法のうえでは祈りは私的なものと位置づけられたが、その中身は公共。私的な公共。神社本庁がやってきた民の公共と同じだ。民の象徴である天皇が私的な公共として祈っている。その祈りは公共的な巡幸によって高められている。この二つの公共性に国民の認識が欲しいとのメッセージだ。国民の神道というテーゼをいちばん体現している。

近代国家にふさわしい公共を考えるには、国民の神道というアプローチを中心にするのがいちばんいい。

塚田 紀史 東洋経済 記者

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つかだ のりふみ / Norifumi Tsukada

電気機器、金属製品などの業界を担当

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