完成度はどうでもいい?三池監督の神髄とは タブーを恐れぬ映画作りの裏側

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常識や計算が映画作りでは邪魔になる

だから、僕の認識としては、木内さんは、本当に面白くて個性的な映画が撮れる人だと思っています。でも彼は今ではいったん映画を撮るのをやめていますよね。それはつまり、小説という形で日本映画界に挑戦状をたたきつけているんじゃないかなと思ったんですよ。木内さんもいろいろとフラストレーションがたまっていたんじゃないかと思いますし、その気持ちは僕もよくわかります。「こうすれば、だいたいこれぐらいの感じのものが作れる」といった計算ができてしまう、いわゆる日本映画を作る人間が持つ常識が、映画を作る際にけっこう邪魔になってくるんですよね。

――常識に縛られるということで、イマジネーションの幅が狭められるということですね。

もちろんプロなら常識を持つのは当然のことです。採算にとらわれずに自由に映画を撮りたいなら、自主制作で好き勝手に作るしかないですから。でもやっぱり、木内さんが頭の中に思い描いているイメージというものは、おそらく自主制作で作るようなものでは収まらないと思うんです。これぐらいのスケールの作品は、普通に映画化してもつまらないといった思いが、木内さんの中に詰まっていたんではないかなと。僕は勝手にそう解釈をしたわけです。

たとえば今回であれば、撮影のために新幹線は貸してもらえないから、代わりに地方の私鉄の在来線を使おうか、とか。高速道路を封鎖したいけど、撮影には貸してもらえないので、インターチェンジらしきものの近くで何かが起こって……という感じに設定を変更して、撮影をやりやすい場所にどんどん逃げこむこともできたんです。

最初はスケールの大きいものを作るつもりだったけど、ルートをどんどんと変更していくのも仕方がない、と自分たちに言い聞かせるというか。それはつまり、日本映画だからというよりも、われわれスタッフが持っている常識が勝手に作り出す壁のようなものかもしれません。

好きなようにやってもまとまってしまう

――しかし本作では、高速道路や名古屋の官庁街を完全封鎖して撮影を行ったり、日本の新幹線技術が投入された台湾の高速鉄道でロケを敢行するなど、実現不可能なことに果敢に挑み、スケールの大きな作品になっています。

せっかく木内さんがそうした常識を打ち破るために書いた小説なのに、ずるずると日本映画の枠の中に押し込めるのもどうかと思ったんですよ。だから失敗作になってもいいから、いろいろ可能性を探りましょうということで進めたんです。映画の完成度を非常に気にする人たちが出てくるかもしれないけど、僕は完成度とかどうでもいいんですよ。極論するなら、面白くなくてもいいと思っている。

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