丸井は「百貨店」?それとも「カード会社」か? 売り場作りとビジネスモデルを大改革中

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「博多マルイ」はこれまでとは異なる売り場作りとビジネスモデルの店舗だ(記者撮影)
おカネはないが、それでも流行のブランドファッションに身を包みたい。そんな若者たちへと救いの手を差し伸べたのが丸井グループ(以下丸井)だった。同社は、若者向け衣料品に特化した品ぞろえと、高い金利収入が見込めるキャッシングカード事業を両輪として、1991年をピークに隆盛を極めた。そんな丸井が今、同社の軸たる若者からも、ファッションからも脱却した新たな収益モデルを模索している。
2016年4月に開業した「博多マルイ」は衣料品を圧縮し、雑貨や飲食のスペースを拡充した。さらに、商品の売れ行きに左右される百貨店型の「消化仕入れ」(売り上げと同時に仕入れが計上される)形式から、ショッピングセンター型の賃料収入モデルに契約形態を変えた。18年度までに、ほぼすべての店舗をこのモデルへと転換する予定だ。丸井は過去のビジネスモデルから脱却し、何を目指すのか。創業家3代目の青井浩社長に聞いた。

 

――社長就任12年目にして、大幅なビジネスモデルの転換に乗り出した。

創業時から振り返ると、当社は家具や耐久消費財からファッション、ファッションから雑貨や飲食へと、時代のニーズに沿って柔軟に軸足を移してきた。大胆に革新できるDNAをもともと持っていると思う。

文字通り「苦節十年」。社長になってからの十数年間は、この革新のDNAと、「ヤングファッションと『赤いカード』(クレジットカード)」による、1980年代の成功体験とのせめぎ合いだった。

社長就任時の2005年から、大幅な金利引き下げが予定されていたカード事業と、人口減少が続く若者向けのビジネスという2つの軸で、抜本的な改革が必要だということはわかっていた。

成功体験に縛られたことも…

――従来のやり方に限界を感じたきっかけは何か。

限界をはっきり自覚したのは、2006年の「なんばマルイ」開店がきっかけだ。新店をどういう業態にするか議論になった際、私は小売りの担当をしていた先輩役員に、「これまでのマルイの集大成で行くか、それとも新しいマルイ作りにチャレンジするか」、と問いかけた。すると、彼は「集大成でやらせてくれ。新しいものはできない」と答えた。

丸井の指揮を執る青井社長。ビジネスモデルの転換は以前から始まっていた(撮影:尾形文繁)

――過去の成功体験があったからか。

1980年代の同社の成功体験を、誰よりも引きずってしまったのが当社の社員。変化に対する抵抗感が強くあった。そこで私は、(なんばマルイを従来のモデルで)挑戦してみることにした。結果を見れば、変えなくてはいけないことを自覚するかも知れない、と。

すると、想像以上に苦戦した。一般的に、新店の売り上げ目標は絶対に到達できる保守的な数字で公表する。目標の未達は、業界でもまれなことなのだが、この店舗は未達・・・ショックだった。

これまでの商売は完全に賞味期限切れ。変えなければだめだと、全員が自覚した。そこで挑戦したのは、若者にターゲットを絞らない「有楽町マルイ」だった。現在進めている、お客様と一緒の店作りを始めたのも有楽町マルイからだ。

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