死に瀕した人の「頭部移植」は正当化できるか 「初の患者」をモルモットにしないための要件

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まず動物実験については、すでに1970年代にアカゲザルによる動物実験が施行され、2015年には中国でマウスによる頭部移植手術が、また2016年にはサルによる頭部移植手術が成功したことが報じられている。

ただ、その成功レベルが問題だ。このサルは安楽死させられるまで20時間を生き抜くにすぎなかった。「頭部移植手術」に関しては学術論文がほとんどなく、この手術に科学的根拠があるのかについて真偽が判断できない側面がある。

批判も多い。たとえばほかの専門家は、血管や脊柱はつなげても、脊髄をつなげることはできず、その結果患者は動くことも呼吸することもできないのではないかと指摘している。現に1970年代に行われたサルの頭部移植手術では、8日後に拒絶反応のため死亡したサルは、頭部と体の脊髄を接合できなかったため、体は動かせず、自発呼吸もかなわなかったという。

それでは3番の指摘はどうだうか。患者の生命に危険が迫っており、ほかに替わりうる手段がないのであるから、この主張には押し切られてしまう感覚さえある。

「初の患者」をモルモットにしないためには

しかし、果たしてそれでよいか。頭部移植手術のような実験的治療行為は、研究室の動物実験がヒトへの転用に移行するものであり、いわゆる不確かなものへの跳躍であることは否めない。つまり、この難手術を受ける患者の生命を救助する可能性とともに、その生命を縮める可能性がある。

そこには、この新しい手術を、医師は、いつ、いかなる権利をもってなしうるのかという問いがある。と同時に、患者の自己決定は、いつ、いかなる場合に正当化されるかの問題もある。「初の患者」をモルモットにすることだけは避けなければならない。患者の保護と、必要な医学の進歩を同時に保障することはできるのか。なかなか難しい問題だが、今確実に述べられるとしたら、いくつかの論点が考えられるだろう。

話が世界レベルなので、まず「ヘルシンキ宣言(ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則)」を見ておこう。実験的治療行為については、宣言では「患者の生命を救い、健康を回復させ、苦痛を緩和する望みがあれば、実験室の実験ならびに動物実験の後に、医師は新種の治療法を自由に応用しうる」と定義づけられていることが参考になる。

これはつまり、まず実験室で動物実験がすでに行われていること、そしてその新たな治療法は医師の経験則から健康回復の成果が約束されていること、さらにこの介入が実験ではなく治療を目的としていること、この3点が重要ということであろう。

難しいのは、要件を並べるのは自由だが、その基準が単なる基準ではなく、有効かどうかである。つまり、新たな難手術により、患者の健康が確実に回復することが客観的に担保できるのかである。だが、どうにもここが怪しい。複数の報道によれば、動物実験では一応の成果が出ているとのことだが、もしそうだとしても、その成果がヒトへの初の介入で同様に期待できるかは不明である。

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