バリキャリ金融女子が料理家に転身したワケ ニューヨークで本当にしたいことを見つけた

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でもそれでも私は結婚がしたかったので、アメリカ人でも日本人でも、友達という友達に「誰かいい人がいたら紹介してね」と言っていたんです。

プライベートが順調だと他もうまくいく

するとある日、女友達からオフィスに電話がかかってきました。「ひでこに紹介したい男性がいるんだけれど、会いたい?」と言われたので「もちろん」と答えた所、「今からカンファレンスコール(会議電話)で彼に繋ぐね」と言われ、そのまま仕事をしているフリをしながら彼と初めて話をしました(笑)。

彼とはその日の仕事終わりに私の勤めていた会社の受付で待ち合わせをして、一緒に日本食レストランで食事をし、それから今までずっと一緒です。

彼は前の主人とは全然違うタイプで、年下ということもあって可愛らしくて飾り気のない自然体な人でした。私が早く子供が欲しいということを彼も分かっていたので、出会って2年後の2000年の2月22日に結婚しました。なぜか「2」が続いてるから今でも覚えているんです(笑)。そしてふたりだけで南の島に行って、夕方の砂浜で裸足になって結婚式を挙げました。

前回の結婚では、お互いに沢山ゲストを呼んで盛大に式を挙げたのにポシャったので(笑)、2回目はふたりの為だけに挙げました。失敗をすると本当に何が大切かって見えてくるんですよね。だからその経験は無駄になっていなかったなと思います。そして結婚してから「2」年後に息子が生まれました。

結婚や出産などプラベートが順調になるにつれて、仕事など他のことも上手くまわり始めました。ニューヨークは、時に殺伐とした冷たい面のある街。まさに「大都会の砂漠」です。そんな街ではプライベートが幸せでないと、仕事や他の事に対してもなかなか力が出ません。だからプライベートが順調ということは、人生にとって非常に大切なポイントだと思います。

息子は予定日にピッタリ生まれたので、私は出産ギリギリまで会社で働いていました。当時39歳の高齢出産だったので、最初は体調が心配でしたが、無事に自然分娩で出産し、その3ヶ月後に会社に戻りました。

でもずっと欲しかった子供が出来たのに、一緒にいられないことにジレンマがあったのと、ナニーさん(フルタイムで子育てをする職業の人)を雇って子育てをするというのが日本人の私には慣れませんでした。息子もナニーさんがあまり好きではなく、私が会社に行くのを嫌がっている姿を見たり、逆に私と一緒にいると息子の精神が安定する事が分かったので、どうしようか悩んでいました。

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