1円で乗れる「一円電車」に託す鉱山の街再生 「シンボル」復活と活性化に挑み続ける人々

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当初は募金により資金を調達し、かつて使用された線路の一部を復原して、列車を走らせようという計画が立てられたのだが、実際に集まった金額は目標の額にはほど遠いものだった。そこで企業が所有する空き地を借り受けて70mほど線路を敷設し、中古の小型バッテリー機関車を購入して、客車を牽かせることにした。

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一円電車復活を担う人々。NPO法人一円電車あけのべの理事長を務める藤尾賢介さん(左)と、明延区長の小林史朗さん

「くろがね号」という愛称が付いたこの客車は、「明神電車」で実際に使用されたものだった。70mの線路を往復する運転の乗車は無料。ただし、より本格的な復活運転のための寄付を受け付けている。金額は任意。1円でも構わない。

「ご存知のように、鉱山が操業していた時代には明延に4000人を超える人が住んでいました。ところが鉱山が閉山となると、人がどんどん減っていった。最後にはそれが80人を切るという状態になったのです。そのような状態で、この地に住む人が夢を持って生きていけるのかどうか?ということが大きな課題となったのです」

「そこで、『どうすれば、明延を再生することができるのだろう?』ということを、皆で考える機会をつくりました。議論は連日、朝早くから夜遅くまで、半年以上続きました。その中で導かれた結論は、『私たちが誇りを持てるのは、明延の町であり、そこに住まっていることである』ということでした」

「明延には鉱山があって、栄えた。けれども、このまま何もしないままでいては、明延は地図から消されてしまうのではないか。明延には鉱山があって、それで栄えたのであれば、それを産業遺産として残すべきである。ただ口で言うだけではなく、動かせるものがあるのなら、それを動かすことが必要なのではないか、そういった議論の中から、かつてこの地で動いていた『一円電車』を動かそうという機運が生まれていったのです」と、「一円電車」復活の経緯を教えてくれたのは、明延区長で「鉱石の道」明延実行委員会会長も務めている小林史朗さんだ。

祭りをきっかけに始まった復活

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復活した客車「くろがね号」

「きっかけとなったのは、町のお祭りの日に、まず30mだけ線路を敷いて、『一円電車』を動かしてみたのです。これが大きな反響を呼びました。多くの人から『一円電車』を本格的に動かして欲しいという声が寄せられたのですね。そこでそのための活動が始まりました。募金活動、ボランティア活動が繰り広げられました。けれども、お金はそう簡単には集まりませんでした」

「それでも多くの人から預かったお金は、きちんと活かさなければいけない。そこで線路を延ばし、機関車はかつてここで使われたものではないけれども、中古のものを調達して、客車は『くろがね号』を整備して、運転することにした。その運転が開始されたのが、2010(平成22)年の秋のことでした。70mであれきちんとした線路が敷かれたので、これで常時運転をすることができるようになった。そこで今度は運転の機会を増やし、さまざまなイベントを通じて、募金活動を続けていこう。募金は1円でも、10円でも構わない。これを続けてゆくことで、町を活性化してゆこう、ということで現在に至っています」と、小林さんは言葉を続けた。

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