(第7回)作詞家・阿久悠のピークは「1977年」前後か?

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●作詞家・阿久悠のピークは「1977年」前後か?

 阿久悠の作詞家としてのピークも、1977年前後と見るべきだろう。

 76年に『北の宿から』で、都はるみにレコード大賞をもたらした彼は、77年の『勝手にしやがれ』(沢田研二)、78年には『UFO』(ピンク・レディー)と、およそ別ジャンルのレコード大賞曲を、3年連続生み出している。また、77年には、石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』が、レコード大賞歌唱賞を受賞。

 作詞家・阿久悠はまさに向かうところ敵無し、一人勝ちの勢いだった。
 その虚構世界の創造に翳(かげ)りが見えはじめるのが、80年代である。
 相変わらすヒット曲には事欠かなかったが、何かが変わったのだ。

 『もしもピアノが弾けたなら』(西田敏行、81年)、『北の蛍』(森進一、84年)、『熱き心に』(小林旭、85年)、『時代おくれ』(河島英五、86年)……

 これら80年代のヒット曲で阿久悠は、それまでのように、時代の尖端を切り開く、歌謡曲の新しい形を示し続けたわけではなかったのである。
 モノからイメージへ、さらにその次の市場化の対象が見えにくいまま、歌は世に連れの歌と時代の間に、すきま風が立ちはじめていたのだ。

高澤秀次(たかざわ・しゅうじ)
1952年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。文芸評論家
著書に『吉本隆明1945-2007』(インスクリプト)、『評伝中上健次』 (集英社)、『江藤淳-神話からの覚醒』(筑摩書房)、『戦後日本の 論点-山本七平の見た日本』(ちくま新書)など。『現代小説の方法』 (作品社)ほか中上健次に関する編著多数。 幻の処女作は『ビートたけしの過激発想の構造』(絶版)。
門弟3人、カラオケ持ち歌300曲が自慢のアンチ・ヒップホップ派の歌謡曲ファン。
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