(第7回)作詞家・阿久悠のピークは「1977年」前後か?

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●「理想の時代」から「虚構の時代」へ

 これを受けて同じ社会学者の大澤真幸は、60年代から70年代への時代転換を、「理想の時代」から「虚構の時代」へのシフトと説明する(『虚構の時代の果て』)。

 大澤は、「理想の時代」に終わりを告げるものとして、1972年の連合赤軍事件をあげる。
 これは、当時の左翼過激派・連合赤軍が、軽井沢・浅間山荘に籠城して警官隊と銃撃戦を展開、全員逮捕されたあとに、同志のリンチ殺人が発覚、12名の遺体が群馬県妙義山で発見されるというショッキングな事件だった。これによって、60年代後半からの、学園紛争の時代に幕が引かれる。
 戦後民主主義の神話、そして過激な戦後世代の革命幻想を支えてきた「理想の時代」の限界はまた、公害の社会問題化など、高度成長の弊害によっても明かになる。

 こうして「夢」と「理想」の追究に矛盾が生じたところから、70年代以降の「虚構の時代」がはじまる。
 大澤によるとそれは、現実そのものではなく、情報化され記号化された疑似現実(虚構)に、人々の行為が方向づけられているような段階を指している。

●70年代的タレントの“スター寿命”

 阿久悠が沢田研二に与えた「虚構の世界の水先案内人」とは、まさにそのような疑似現実へと人々を誘導する70年代的タレントのことだった。「けだるさを秘めた退廃美」という特徴も、この「虚構の時代」に求められるスターの条件と無関係ではない。

 善が善であり、美が美であり、大衆が素朴に「夢」や「理想」を追い求める時代は終わった。現実そのものではなく、よりフィクショナルな疑似現実が、理想そのものではなく模擬的な理想が、消費社会を被いはじめたのだ。
 フランスの社会学者J・ボードリヤールは、それを「シミュレーションの時代」と名づけた。マーケティングの専門家たちは、ただちにこのモノ離れの時代を予兆する概念に飛びついた。

 新時代の到来を予感した阿久悠のセンサーは、そうした疑似現実が主流となる日本社会に漂いはじめた、「堕落の美が似合う贅沢の気分」(『歌謡曲の時代』)を精確にキャッチしていた。その気分を歌にできる時代が、ようやく来たという確信である。

「怨念」や「情念」を、ストレートに表現する従来の歌謡曲の方法が不可能になったのも、それに寄りかかり、破れ、傷ついた「夢」や「理想」が、様変わりする時代の中で、リアリティを失いかけていたからに違いなかった。

 ならば、「虚無的な人間が一瞬虚無を忘れて愛に溺れ、熱が冷めるとやはり虚無の中にある」(『愛すべき名歌たち』)という疑似現実(虚構)を、模擬的に構成することで、新しい歌のリアリティが生み出せるのではないか--
 それが70年代半ばの『時の過ぎゆくまま』に込めた、阿久悠の思いであった。

 「昭和五十年、日本もぼちぼちだが贅沢になりつつあった。贅沢は物を手に入れることではなく、男と女の愛の中にけだるさなどという要素が入り込んで来るようになったことで、ぼくにとっては面白い時代であった」(同前)

 だが、その面白さを引き出してくれた「虚構の世界の水先案内人」のスターとしての寿命には、当然限界があった。沢田研二も、そして阿久悠の手がけたピンク・レディーも、70年代的な虚構を彩る典型的キャラクターとして、歌の最前線から退いていく。

 「虚構の時代」とは、60年代的な「理想の時代」と、80年代的なポスト大衆消費社会、百花繚乱のバブル経済の時代への過渡期でもあったのだ。
 それ故に、70年代的な「虚構」は、期間限定を運命づけられていたと言ってもよかった。

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