50歳程度で「引き算」の人生をしてはならない 松下幸之助は「160歳まで生きる」と考えた

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実際、松下は満94歳で亡くなったが、そのぎりぎりまで全力を尽くして生きぬき、最後まではっきりとした意識でその人生をまっとうすることができた。

160歳まで生きるという強い気持ちがあるから、亡くなる直前であっても精神が前向きであった。だから松下は、息を引き取る寸前、松下病院の横尾院長が「これから管を入れます。ちょっと苦しいですが、どうぞ我慢してください。よろしくお願いします」と言ったところ、病床で横になりながら、「いやいや、お世話になるのは私のほうだ。私のほうこそお願いします」 と言った。

「まだまだ成功したとはいえん」

最後の瞬間まで、相手の気持ちを思いやる、はっきりとした意識を持っていた。最後まで人を思いやることができたのは、松下が「106歳まで生きる、いや130歳まで生きる、いやいや160歳までも生きるんだ」という気持ちを持っていたからだと思う。

たった3人で始めた事業が、最後には関係先まで含めると数十万人の大きな会社になったとき、人びとは松下を成功者、今太閤、経営の神様とほめたたえた。しかし松下自身は、決して成功とは考えていなかった。

「人間として生まれてきた以上は、人間としての成功が大事や。そういう意味ではまだまだ成功したとはいえん」と思い続けていた。松下は、人よりも高い山を極めた人であったが、しかし、その先にはもっと高い山を見ていた。

亡くなる年の正月のことだった。1月4日、私は伊勢神宮にお参りに行き、その夜、御札と御神酒を持って松下の自宅を訪問した。正月料理をすすめてくれた松下は、大学建設の夢について話しはじめた。それも、その大学の理事長になるということではなく、自分が第1号の学生になりたいという夢であった。

「まだまだ勉強せんといかんもんが、いっぱいあるわけや。勉強しようと思うんや。それでまず時間割な、あれを考えてみたらどうやろな」。学ぶ姿勢、そして熱意は最後までとどまることがなかった。

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