マックバカの大御所、現役クルーに”喝” OB・藤本孝博に聞く(下)

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今もそうだが、マクドナルドには「5分前に現場に入れ」「ユニフォームは週に2回洗え」とクルーが守るべきルールがいっぱいある。エンパワーメントの本を読んで、この店だったらできるかもしれないとクルー向けのルールを全部捨てた。新しいルールはたったひとつ、「お前らがベストやと思うことを、自分の判断で、自分の責任でやれ。もう許可取る必要はない」と紙に書いて張った。素直なクルーが多かったので見違えるほどよい店になった。

マクドナルドの強さの源泉は?

でもあるときに事件が起きた。僕がちょっと店を離れて戻ってきたら、よくできるクルーの1人がいない。15分経っても帰ってこないと「あいつ、何しとんねん」とだんだん腹立ってくる。1時間ぐらいしてから、そのクルーが見たことのない笑顔を浮かべて帰ってきた。怒りをこらえて「どうした?」と聞いたら、「お客様がゴミ箱に指輪を落としてしまったらしく、探しに行ってきました」という。

奈良県の店長時代の藤本氏(上段真ん中)

ゴミ箱は中身を出して、すでにゴミ庫に置いた後でした。スーパーのゴミ庫だから、広大なサイズです。そのクルーは店舗を抜け出して、スーパーのゴミ庫で袋を1つ1つ開けながら指輪を探してくれたんです。それで「ボス、22個目で指輪を見つけました!」と満面の笑顔で言ったんです。

そのときに恥ずかしくて、抱きしめたいぐらい感動してボロボロ涙が出てきました。僕は本を読んでルールを書き換えたけど、まだクルーの持つ力を信じ切れていなかった。彼らこそがお客様に接する最先端で、マクドナルドの強さの源泉です。そのことを実感しました。

マクドナルドは米国系資本の外食チェーンでありながら、どこか日本の外食チェーンのような雰囲気を漂わせている。それは1971年から30年近くマクドナルドを率いてきた創業者・藤田田(ふじたでん、日本マクドナルド創業者)氏の独自の経営哲学によるところが大きい。
藤田氏が2002年に日本マクドナルドを去り、04年に原田氏がトップに就いてからは、世界のマクドナルドグループの一員として経営の一体化を進めてきた。「100円マック」や「ビックアメリカキャンペーン」、「プレミアムコーヒー」や最近注力している宅配事業も、どれも海外マクドナルドの成功事例だ。原田氏はマクドナルドの活性化策として、こうした事例の日本導入を進めてきた。

――そんな藤本さんがなぜマクドナルドを辞めたのでしょうか。

退職日は2010年5月末日付で、最後に出社したのは3月中旬だった。辞めたのは、いつか自分の力で勝負すると、入社したときから決めていたからです。原田さんにはすごくかわいがってもらいました。でも、一緒に原田さんと仕事をしていて気づいたことがあります。英語ができないという言葉の問題もあるけれど、僕には日本マクドナルドの社長というグローバルなマネジメントができない。この仕事では原田さんと勝負できないんです。僕と原田さんは15歳違う。ならば、あと15年は全然違うことをやって、原田さんと勝負したいなという気持ちがありました。原田さんが大好きな分、自分で考えて自分でやれることをしたかったことが、辞めるときのいちばんのきっかけでした。

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