45歳シングルマザーが抜け出せない貧困地獄 子持ちで離婚したらどうしてダメなのか?

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村上さんは埼玉県出身、ビジネス系の短大を卒業している。就職口はたくさんある売り手市場の時代に2部上場企業に一般職として新卒入社し、27歳のときに社内結婚。長男の妊娠出産で寿退社をしている。

「元夫は同じ会社で、若くして店長になった仕事ができた人。付き合い始めたら子どもがすぐできちゃったので結婚しました。収入もそれなりによかったし、最初は子育てしながら普通に専業主婦をしていました。離婚の原因は次男を妊娠して、“堕ろせ!”って言われたから。そんなこと考えられないし、もう選択肢は離婚しかなかった」

13年前。月3万円×3人、毎月9万円の養育費を払うという約束で協議離婚をした。現在の県営団地に引っ越して、家賃も格安、頑張って働けばなんとかなるという計算だった。車で40分ほどの実家の母親に育児を手伝ってもらいながら、パートに出て働いて生活費を稼いだ。毎月9万円の養育費は半年ほどでいっさい支払われなくなり、深刻な貧困が始まった。

「結婚前みたいに正規職に戻れば、何とかなるって思っていました。けど、甘かった。保険の外交員をやっても自分の保険を支払わなければならなくて、全然おカネが残らない。シングルでもできる仕事は時給850円とかで、そのおカネでどうやって暮らせというのでしょう。生活保護も考えて窓口に行きましたが、クルマがあるってことで断られました。こんな場所でクルマなしに、どうやって生きて行けっていうのでしょう」

生活保護はクルマが理由で断られた

貧困から抜け出す解決策はなく、何度も溜息をつく村上さん

とても生きていけないと福祉事務所に相談したのは、次男が5歳の頃。5分程度の相談で打ち切られた。当時、実家の母親に泣きつき、自宅や実家で子どもを見てもらっていた。週に何度も実家と自宅をクルマで行き来する。クルマという生活必需品がなくなる、その生活は考えられなかった。

「実家は同じ県内だけど、バス停すらないところ。クルマがなくなると育児は当然、買物すらできません。福祉事務所に生活保護を断られた時点で、誰かに頼ることはあきらめました。もう誰も助けてくれない。だから団地のお母さんたちと話すのは、いつもおカネと老後の話です。ここの建物なくなっちゃったら、私たち最後どうやって死のうかって、そんな話ばかり。絶望ですね」

何度も溜息をついている。いくら話しても悩んでも、解決策はなかった。「国とか行政には何も期待をしていないですけど、唯一の望みは同一労働同一賃金くらいですかね」という。今の日本社会は、シングルマザーに厳しい。母親たちが100%以上の力を使って必死に働いても、賃金が低すぎて普通の生活はできない、村上さんはその現実を生きてとことん疲弊し、絶望してしまっている。

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