日本人が信じてやまない「法治主義」の死角

「舛添問題」は哲学的に見てきわめて興味深い

哲学塾連載、今月は舛添問題を考えます(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

前回は「社会、あるいは世間がいかに哲学を『嫌うか』」というテーマを扱いましたが、今回(から)はその理由を、なるべく具体的に掘り下げて論じようと思います。

その理由というのは、言ってみればとても簡単で、哲学者が問題にしている内容、すなわち哲学的問題のレベルは「普通の認識」や「普通の正義」とかけ離れているという、まさにこの点に帰着する。それは、この歳(この前、古希を迎えたのですが)まで生きてますます確信することです。

もちろん、哲学者にも哲学にもさまざまな種類があり、それをすべて網羅して論じることはできず、あくまでも私の個人的哲学観に基づいてのことなのですが、それでもかなり本質を突いていると自負しています。

俗事に興味のない筆者が、つぶさに追った「舛添問題」

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いま、都知事選(の選挙運動)がたけなわですが、ここでちょっと古びた「舛添問題」を取り上げてみましょう。この問題に関する一連の動きはまさに見事なほど非哲学的であり、私は本来こういう「俗事」には無限に関心が薄いのですが、この問題だけは、つぶさに報道を観察し、週刊誌さえ購入して「研究」しました。

じつは、私は舛添さんとは3年間、職場を共にしていた。1984年3月に4年半滞在したウィーンから帰国し(私はすでに37歳でした)、東大駒場の「社会科学科」のうち「社会思想史」の助手になったのですが、そこに2歳年下の舛添さんがいました。

当時、彼は新進気鋭の助教授。助教授と助手とのあいだには身分上の太い線が引かれていて(助教授はよほどの不祥事を起こさない限り定年まで東大に在職できるけれど、助手は3年経ったらほかの大学に「とばされる」)、対等にはつきあえる間柄ではなかった。まあ、「国際政治」という彼の専門に私はまったく無関心であり、とくに話す内容もないので、つきあうつもりもなかったのですが。

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