テレビは「視聴者の想像力」を信用していない 是枝監督が映画「いしぶみ」に込めた反骨心

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――映画の表現にもテレビと同様の課題があるのでしょうか?

テレビ番組だけではなくて、映画も「想像するのは疲れるでしょう、何も考えずに済む疲れない作品を提供しましょう」というスタンスで作っていると、作品のラインナップが偏ってきますよね。

これえだ・ひろかず●1962年東京生まれ。1987年に早稲田大学第一文学部文芸学科を卒業後、テレビ番組制作を行うテレビマンユニオンでドキュメンタリーを中心に制作。2014年に独立し制作者集団「分福」を設立。監督作品に『誰も知らない』『そして父になる』『海街diary』『海よりもまだ深く』などがある

実際、3Dから4D(座席が動いたり、水しぶきや香りなどが加わった、体感型の上映システム)になって、映画館での映画体験が東京ディズニーリゾートやユニバーサル・スタジオ・ジャパンのアトラクションと並列で語られています。

エンターテインメントとして、アトラクションと人気を競い合うような作品もあっていい。でも僕の中でそれは、映画体験ではないんです。だから、そことは違う作品を作り続けて抵抗していきますよ。

これだけCGの技術が上がると、「血が飛び散る」「体が吹っ飛ぶ」といった悲惨さをそのまま描写し、戦争の悲惨さを伝えることはできます。少し前に観たハリウッド映画では、冒頭の10数分間、ワンカットで弓矢が飛び交い、血が吹き出て倒れる人々の生々しい描写が続きました。臨場感という意味ではすごいけど、僕はあまり好きじゃないんだよね。

視聴者の想像力に委ねることも、表現方法

僕が好きなのは、黒木和雄監督の『TOMORROW 明日』。原爆が落とされる1日前の長崎の家族の日常が淡々と描かれていて、原爆によって結局何が失われたのかを直接的に描かず、想像の中で描いてもらう。こちらの描写が好きなんですよね。

たとえば、当時の広島の街中を撮影した写真で、被爆者たちの背中しか写っていないものがあります。正面に回ると、目を背けたくなるような直視できない状況だったから、カメラマンが遠くから被爆者の背中しか撮れなかったわけです。

この、「遠くから背中しか撮れなかった」という事実にこそ、悲惨さが表れている。その事実も含めて写真の表現です。見ている人の想像力に委ねるということもまた、表現方法のひとつなんです。

(撮影:田所千代美)

中原 美絵子 フリーライター

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なかはら みえこ / Mieko Nakahara

金融業界を経て、2003年から2022年3月まで東洋経済新報社の契約記者として『会社四季報』『週刊東洋経済』『東洋経済オンライン』等で執筆、編集。契約記者中は、放送、広告、音楽、スポーツアパレル業界など担当。

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