合理的な人が選挙に行かないこれだけの理由 選挙にはもっと市場原理を働かせるべきだ

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合理的な人は、「全員参加型の民主主義」、「みんなの政治」、「国民のための政治」といったたぐいの言葉を聞くと、「近似ゼロ効果」ということが頭をよぎり、選挙に行く気が失せるのです。

選挙は市場原理によって動く

しかし、このような人こそが、選挙で正しい判断をする素養を持っています。その冷めた合理性によって、客観的に候補者を評価することができる可能性が高いのです。

民主主義の選挙というものは、それ自体、合理的な人々に適した合理システムを持っています。経済学者のシュンペーターは以下のように言っています。

「政治を志す者たちは、民衆の支持を獲得するために厳しい競争にさらされる。民主主義とは、権力獲得の過程に、競争という原理を導入するひとつの方法と見るべきである」(シュンペーター著『資本主義・社会主義・民主主義』1942年)

シュンペーターは経済学者らしく、民主政治を市場(マーケット)になぞらえて説明しています。彼は政治家を企業家、有権者を消費者とたとえます。民衆は政治家が提供する商品(サービス)を消費する存在です。

企業家たる政治家が市場に供給した商品(サービス)の良し悪しを、消費者たる有権者が判別し、購入することも購入しないこともできます。つまり、これが、選挙という商品(サービス)購買の選定結果となります。消費者に選ばれる商品(サービス)を提供した政治家に票が入るという合理的な仕組みによって、民主主義の選挙は行われます。

シュンペーターは、民主政治が市場メカニズムの合理性の延長上にあることを指摘しています。政治家は良い商品(サービス)を提供し、あるいは提供することを約束し、それを消費者たる有権者に選んでもらうために、奔走しなければなりません。

市場(マーケット)では、「競争」のメカニズムによって、商品やサービスが淘汰されていきます。市場に残り続ける商品やサービスは、消費者に支持されているのです。政治家も同様に、「競争」の合理的メカニズムによって、淘汰されるべきものでしょう。

政治が有益なものとなるように、政治家を努力へと駆り立てることが、有権者の役割であり、その意味において、政治家を選ぶ有権者が政治や民主主義に対し、果たす役割は小さくはありません。

このような「競争」のメカニズムがうまく機能するためには、消費者たる有権者が、商品やサービスを買う時と同じように、合理的な判断によって、投票行動をすることが必要です。しかし、残念ながら、有権者は選挙に際して、十分に合理的ではありません。

候補者が有名人だから、雰囲気が良いから、付き合いがあるからというように、政策の中身よりもむしろ、表層的なイメージによって、何となく投票をするということが多いのです。毎度、結果は、ろくなことになりません。

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