被害額54円…「万引き老人」の悲しすぎる現実 「貧困」と「孤独」が支配する絶望社会とは?

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万引き老人の人生いろいろ、万引きの手口いろいろ、そして、捕まった時の反応もいろいろだ。ひどく動揺する老人や、土下座までしてひたすら謝る人、逆に、しらばっくれる盗人もいる。中には逆上する猛々しき犯人もいるので、万引き行為を駐車場で追い詰めるのはとても危険な行為となる。急発進されて、ひき殺されそうになることもあるからだ。

警察だけは呼ばないで…

紹介されているうちで、いちばん恐ろしい話は、高級スーパーで真っ赤なルイ・ヴィトンのボストンバッグに酒や食べ物を詰め込んでいた派手な化粧のスナック経営者(66歳)の件だ。犯行を認めたので事務所に連れて行き、ドアを閉めたとたん、『たくさんしてあげるから、警察だけは呼ばないで…』と、70キロ超えの巨体に押し倒されてクチビルを奪われてしまった。

“加齢臭と線香が混ざり合ったような異様なにおいを漂わせる派手女を腕で押しのける。だが、体勢を立て直そうとした瞬間、私の口に舌が差し込まれた。”

 

ホラーだ…。あとは読んでのお楽しみ、というと失礼かもしれないが、すごい話なのである。このおばさん、警察の調べにより、万引きの他に売春と覚醒剤所持の前科者であることがわかる。あまりのことに被害届を出そうとしたが、男性保安員が女性に襲われるなどという事例は想定されておらず、泣き寝入りされたらしい。万引きGメンも命がけなのだ。

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最も深刻なのは、お金も住むところもないので、刑務所入りを志願して万引きを繰り返す老人たちだ。全件通報を指導している警察であるが、こういう万引き犯に対しては露骨に立件をいやがるらしい。難しい問題だ。かつては、年末年始のひもじさを回避するための年末の風物詩だったのが、いまや、高齢の刑務所志願兵は年間を通じて頻繁に登場するようになっているという。志願であることを悟られて逮捕してもらえなかったために犯罪を繰り返すケースも多いとなると、いったいどうすればいいのかわからない。

高齢社会の片隅に、こういった現実が厳然と存在しているのである。それをもって、万引き老人が高齢社会の縮図である、とまで言うつもりはない。しかし、貧困、病気、孤独、といったさまざまな問題に起因する老人の万引きが、現代社会を映し出すゆがんだ鏡になっていることだけは間違いない。

仲野 徹 大阪大学大学院・生命機能研究科教授

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なかの とおる / Toru Nakano

1957年、大阪市旭区千林生まれ。大阪大学医学部卒業後、内科医から研究の道へ。京都大学医学部講師などを経て、大阪大学大学院・生命機能研究科および医学系研究科教授。HONZレビュアー。専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。著書に『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社、2017年)、『からだと病気のしくみ講義』(NHK出版、2019年)、『みんなに話したくなる感染症のはなし』(河出書房新社、2020年)などがある。

 

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