(中国編・第十話)メディアの責任

工藤泰志

 私がNPOを立ち上げた時に、「言論NPO」という名前を付けたのは、「言論」という言葉にある強い思いがあったからだ。
「健全な社会には健全な言論が必要であり、それこそが民主社会のインフラだ」という思いである。言論側に立つ人間にはそうしたインフラをしっかりとしたものとする責任が問われている。そうした言論の役割を、非営利で取り組めないかと考えた。
 私が、日中の民間の直接対話の実現に取り組んだもう一つの大きな理由は、日中関係が最も困難な時に、メディアの報道が両国の対立に拍車をかけているのではないか、という危機感だった。
 両国のメディアは、日中両国民の相互理解を深めるどころが、不理解を増幅しているのではないか。これが、私たちが毎年行っている日中両国民を対象とした世論調査結果から浮かび上がった疑問でもある。

 前にも触れたことだが、直接的な交流が極端に少ない日本人と中国人は相手国に対する認識を、それぞれ自国のメディアの情報にそのほとんどを依存している。
 世論調査の結果で興味深いのは、自国メディアの報道の客観性に関して問うた設問である。中国人は6割が「自国メディアの報道が客観的」と考えているのに対し、日本人は自国のメディアが客観的と見る回答は3割に過ぎず、逆に「日本側に立った主観的報道」か「対立を強調している」と考える見方を合わせると4割近くになっている。
 この結果には幾通りもの解釈は可能だろう。ただ、はっきりと言えることは、自国のメディアを信用し過ぎるのも、信用できないのも、いずれも「健全な社会」ではないということである。

 「ジャーナリズムは平和構築の推進者になりえるか」。最近、こうしたタイトルの国際シンポジウムにパネラーで参加した時にも発言したことだが、私はメディアとそこで働くジャーナリストの役割は別に考えるべきだと、考えてきた。
 メディアの報道はどうしても営利企業としての性質に影響されてしまう。その時に関心がある話題に報道は集中しがちだし、さらにステレオタイプで情報の解釈や処理をしてしまう傾向が強い。
 中国は社会主義で覇権主義的、日本は軍国主義的な傾向が根強いと、両国民はお互いの国を感じている。お互いの社会はそこまで固定的で単一的なものではないのだが、メディアはそうしたステレオタイプの傾向で情報を処理したほうが分かり易く、関心も集めやすいために、国家主義的なイメージを結果的に補強してしまい、対立を煽ってしまう。
 もちろん中国の体制と日本の体制は異なり、中国のナショナリスティックな傾向に驚かされることが多いのも事実である。が、これを国家のパラダイムでしか解決できないのなら、対立しか生み出さないのではないか。それを市民社会の次元で多様な関係を構築し、そうした多様な議論や見方を認め合い、尊重しあう関係を作り上げることが私たちの進めた民間対話の意味だし、そうした自由な対話が国境を越えて多面的に動き出すことでしか、この国家主義のパラダイムの転換はできないのではないか、と思ったのである。
 メディアが国家主義を補強する傾向が強いならば、ジャーナリストは、この多様な対話を生み出し、あるいはサポートする主体者になれるはずである。それこそが、ジャーナリズムの責任だと、私は思う。

世論調査の内容を巡って日中のメディア関係者は激しい議論の応酬となった

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