すると、意外にも部長の口から出た言葉は、「何で辞めるの?」。
実は、会社としても、せっかく店長に育った優秀な社員に辞められるのは大きな痛手だったのだ。
また、会社が女性社員の活用プロジェクトを始めた矢先だったことも、功を奏した。「部長は、『会社としてどう配慮すれば続けられる?』と聞いてくれました。そこで、2つのお願いをしたのです」。
その2つとは、1つはパートナーと同じ地域に転勤させてもらうこと。もう1つは、店長である自分がいないときでも、店長業務を代行できる人材を配置し、社員がきちんと休めるサポート体制を整備してもらうことだ。
「すると、部長は『そんなの簡単だよ』と一言。拍子抜けしてしまいました」。こうして、増沢さんは北海道の千歳の店舗の店長に転勤。晴れて、彼とも結婚し、仕事と家庭の両方を選択することができたのだ。
第1子を妊娠したのは、夫の転勤と同時にまた千葉に戻り、同地区の駅ビル店舗の店長をしていた頃だ。キャリア志向の強い増沢さんは、もちろん出産ギリギリまで働くつもりでいた。ところが、つわりがひどくて、働くどころか立ってもいられない状況に。
「また、部長に相談すると、『いいから、早く、産休取って』と言ってくれました。だから、当時の店舗は新しい店長が来るまで、2カ月も店長不在の状況になってしまった。
かといって、自宅から仕事の指示を出すこともできません。せめて、スタッフのモチベーションだけは下がらないようにと、応援メッセージを書いてファクスで送っていましたね」。
その仕事で、キャリアアップできますか?
結局、07年9月から09年3月まで約1年半、産休・育休を取得。その間、経営スピードの速いユニクロは、経営戦略も宣伝戦略も、店舗のシステムもどんどん刷新していく……。
「だから、復帰するのは、ドキドキでした」。それはまるで、浦島太郎のような気持ちだったかもしれない。
09年4月、復帰直後は、これまでどおりの店長からのリスタートではなく、あえて、子どもの保育園の送り迎えがしやすいよう、自宅近くの新浦安店で、社員として時短勤務(午前9時から午後4時)することを選択した。しかし、そのわずか1カ月半後には、仕事に物足りなさを感じるようになった。
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