R25からLINEまで。日本最強のメディア野郎 新世代リーダー 田端信太郎 NHN Japan 執行役員

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「新規事業への投資をやるぞ」と意気込んでいた田端だが、入社早々、ネットバブルが崩壊。ネットベンチャーブームは急速にしぼんで行った。

なかなか希望した仕事ができない日々が続いたが、それにめげる田端ではない。社内の新規事業提案制度「RING」に応募し、後の『R25』の源流になるプロジェクトを提案したところ、見事に合格。それが徐々に本業になり、03年の夏からは、新事業にかかりっきりになった。

ただし、『R25』立ち上げまでの道のりは、平坦ではなかった。

田端が産み落とした『R25』は、発行部数55万部の巨大メディアへと成長した

他部署からは、「こんなビジネス儲からない」と散々批判され、なかなか協力を得られない。社外のパートナーを巻き込むのも一苦労。雑誌のラックを置いてもらう鉄道会社やコンビニ、雑誌を作ってもらう編集プロダクションやデザイン事務所、そして、広告を売ってくれる電通など――田端は調整にかけずり回った。

「頭の中にあるビジネスプランが、だんだん実際のビジネスになるというのは、人を巻き込んでいくということなんですね。電通とリクルート、編集サイドと広告サイドの板挟みになって大変でした」

田端や他のメンバーの努力もあり、『R25』は無事デビューを飾る。メディア業界に新風を吹き込み、社内外で大きな注目を浴びた。しかし、田端は徐々に不自由さを感じるようになる。

「雑誌もいったんできてしまうと、結構ルーチンワークになってしまう。それは事業がうまくいったということでもあるんですが、自分も一つのコマになってくる。それが面白くないというか、フラストレーションを感じるようになってきたんです」

ホリエモンから学んだこと

そんなとき、知り合いの先輩から声がかかる。

「ライブドアで俺と一緒に働かないか。今ちょうど、ポータルサイトをやるメンバーを募集していて、堀江さんが会うと言っているから、面接に来ないか?」

堀江に会えるというミーハー心もあり、面接に出向くことにした。緊張して構えていったものの、面接は拍子抜けするほどあっけなかった。

「15分くらい雑談して、『じゃあいいよ』と。担当者の人に『受かったんですかね』と聞いたら、『全然いいらしいよ』で終わりでした(笑)」

こうして05年4月からライブドアで働くことになる。入社後、田端が配属されたのはライブドアニュース。自ら編集担当として、ゴールデンウィークには休日返上で、ニュース選びに奔走した。

堀江からはつねに厳しい声が飛んできた。

「堀江さんはせっかちですし、言葉はすごくきついですよ。オブラートに包んで諭すみたいなことは全然ない人ですから。彼の指示はつねに総論でなく具体的。マイケル・ジャクソンが死んだときには、『何ですぐにニュースがポータルに載らないのか』とメールがどんどん来る。毎週火曜日の午前に、堀江さんも参加するポータル会議があったんですが、結構きつかったですね」

堀江との仕事から、田端はネットと紙のカルチャーの違いを学んだ。

ある日、田端がマーケティングの一環として読者調査を提案したところ、堀江は「マーケティングなんて、女々しいことをしてるんじゃねえよ」と一喝した。

『R25』創刊のときは何ヵ月もかけて、グループインタビューを行った。しかし、そうした紙の世界のやり方は、ネットの世界には適さない。長い時間、お金をかけて調べるぐらいだったら、まずはサービスを出してみて、それからトライ&エラーで修正して行けばいい――それが堀江から学んだネット業界の流儀だった。

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