(第17回)数学大国江戸の日本~建部賢弘~(その1)

桜井進

●建部賢弘、19歳の反撃

 関孝和の第一の後継者として有名な和算家建部賢弘(たけべ・かたひろ)の人となりについて紹介していきます。次の年譜を見るとわかりますが、関孝和の全盛時代をすべて弟子としてみていたことがわかります。

西暦 建部賢弘(1664~1739) 関孝和(1640?~1708)
1664年 徳川家光右筆建部直恒の三男として生まれる。 24歳
1674年 10歳 34歳、『発微算法』
1676年 12歳、兄賢明とともに関孝和に入門 36歳
1683年 19歳、『研幾算法』を著す。 43歳、『解伏題之法』『方陣之法』
1685年 21歳、『発微算法演談諺解』 45歳、『開方翻変之法』『題術弁議之法』『病題明致之法』
1690年 26歳、『算学啓蒙諺解大成』、徳川綱豊の家臣・北条源五衛門の養子となる 50歳
1695年 32歳、『大成算経』12巻まで完成 56歳、『四余算法』
1701年 37歳、徳川家綱に仕える 61歳
1703年 40歳、御小納戸となる 64歳
1704年 41歳、西城御納戸組頭となる 65歳、江戸に移り、幕府直属の士となる
1708年 45歳 69歳、関孝和没
表1: 45歳まで

 建部賢弘の肖像画は1枚も残されていません。しかし、彼の存在は日本数学史に燦然と輝き続けています。身分の高い家臣の三男として生まれ、関孝和の高弟として有名になり、徳川三代の将軍(家宣、家綱、吉宗)に仕えた和算家です。その業績は群を抜き独創的な和算の発展と普及に貢献しました。日本数学会は関孝和賞と建部賢弘賞を設けています。今なおその業績をたたえ続けているかがわかります。

  幼少のころから数学に熱中したと思われます。吉田光由の『塵劫記』(1631年)、沢口一之の『古今算法記』(1670年)、そして関孝和の『発微算法』(1674年)などの数学をかたっぱしから学び吸収していったのです。そして、12歳で兄賢明とともに関孝和に弟子入りを決意するに至ったのです。建部賢弘の優秀さは19歳のときの著作『研幾算法』からわかります。研幾の研はくわしくきわめる、幾はかすかなという意味です。

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