堺屋太一「人が集まるイベントの創り方」 『人を呼ぶ法則』を書いた、堺屋太一氏に聞く

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──大阪万博後、1972年から沖縄開発庁企画調整課長でした。

那覇に2年住んだ。日本政府や沖縄県のやっている観光開発はまさにアトラクティブズの正反対。まず道路を造れ、飛行場を広げよ、ホテルを建てよと、ハードウエア中心だった。それを抜本的に変えて、アトラクティブズを基本に実行した。

沖縄県は日本で観光開発に成功した唯一の県といえる。年間600万人が来訪。観光のおかげで沖縄の人口は増加している。沖縄県の人口は96万人から140万人になった。最近は、首都圏や滋賀県を抜くほどの増加率だ。沖縄よりほぼ20年前に日本に復帰した奄美大島は15年間で人口は4割、半分以下になっている。沖縄は今も住みたい人が増えている。これは観光開発の成果だと思っている。

──一時は全国で博覧会ブームになりました。

地方博がやたらと続出、観光開発やリゾート開発がものすごく増えた。それらはことごとく失敗した。企画者が広告代理店の下請けになり、収支のつじつまを合わせればいいという形になってしまう。前売り券を大量に発売、それで予定入場者の7割ぐらいを確保しようとした。前売り券の販売先は県の出入り業者が多い。結果として前売り券はその7割ぐらいしか使われない。しかも、県外から来る人は少ない。博覧会はその県の産業、文化の振興のために行うもの。つまり外から人を呼び、おカネを集めるはずが、県内の仲間内のおカネの取り合いだけになってしまう。この結果、21世紀になると博覧会ははやらなくなった。05年の愛知万博で有名になった個人は一人もいない。誰の建築だったかシンボルタワーは誰が作ったのか。まったく名前が出てこない。

これはノウハウが引き継げない官僚システムの硬直化のなせる業だ。無責任な下請け依存という組織の衰退を象徴するようなことが起こった。今や日本は人を呼ぶ事業ができない。モノづくりには熱心だが、そのモノづくりが韓国や中国に追いつかれたから、今や日本は危機的な状態にある。規格大量生産で集中して作ってたくさん売ったらいいという時代には、日本の集団主義でよかった。しかし、独創的な技術で多様な製品を作る時代になると、どんどん世界から立ち遅れることになってしまった。再び日本も人を呼べる国になることを真剣に考えないといけない。

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