小網代の谷が「奇跡の自然」と呼ばれる理由 ひとつの流域生態系を観察できる

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そんな「奇跡」には深い理由がある。ほかの地域では失われた「自然」がなぜ残ったのかといえば、そこには偶然に継ぐ偶然があった。

「奇跡」の理由

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まず、人が住んでおらず、棚田として長く使われていたことだ。また、斜面の林は薪炭に使われていた。これが案外と重要なことで、縄文時代以来1960年代まで、手入れのされた林と田んぼだったがために、現在の自然の林と湿原が生まれた。

だが、1960年代になって木材を燃料としなくなり、米を自由に買えるようになると、地元の人からは用済みとなり、1980年代まで放置される。途中に降って湧いたのがリゾート開発の話だ。近隣には逗子マリーナ、葉山マリーナ、油壺マリーナ、それに伴う大型マンションがずらり並ぶのだから当たり前だろう。とはいうものの、これが結果的には、周囲で起こった宅地開発の波から小網代を守ることになるからわからぬものだ。

1985年にゴルフ場計画を含む周辺一帯の大規模開発の話が持ち上がるが、その計画を好機として、その計画に反対をせず、計画内容の変更提案をつきつめることで、ゴルフ場とリゾート施設になるはずの小網代流域を、まるごと自然保全地とする開発計画に変えてしまったのである。自然保護というと、プラカードを持ってデモ行進、というイメージだが、開発しようとする企業や自治体と共存していく方針で、対話の場を絶やさないことで、逆にうまくいったのだ。

森のアイドル、アカテガニ

サイエンスからのアプローチに加えて、関係者たちが対話をしながら進めていく、そんなビジネスの側面があったからこそ守られた「奇跡の森」。この「奇跡」への詳しい経過はお読みいただくとして、森を歩いてみることをぜひお勧めしたい。

なにしろ数千もの蛍が見られるのは、2016年は5月28日〜6月12日までとのこと。ぜひ出かけてみたい。

足立 真穂 HONZ

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あだちまほ / Maho Adachi

東京生まれ。大学を卒業後、「矢来町」のとある出版社に勤務。国内外の実用書から学術系の本まで、幅広いテーマの本作りを手がけている。書籍編集のかたわら、ロダンの有名な彫刻作品と同名の季刊誌にも創刊時から関わっている。趣味は落語、狂言、温泉。ときどきマラソンを走っているものの、タイムはいまひとつ。
 

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