ユニクロも僕も大変、でも今は大チャンス 柳井氏後継候補の1人 堂前宣夫 (上)

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 しかし、フリースブームは堂前にとって、すでに「懐かしい」過去ではないか。それもそのはず、ブームは社会現象にまでなったが、国内を中心とした話だ。このとき、すでに柳井の目は海外へも向いていた。FRは01年のロンドン出店を皮切りに、中国、米国、香港、韓国などへと「ユニクロ」の海外進出を拡大していく。

当時の海外の責任者は社員の中の「アニキ格」だった玉塚。だが、英国は物件の問題などもあり、成功というには程遠かった。しかも、国内でフリースブームが去ったあとのFRは、新たな成長のドライバーが見つからず、もがき苦しむ。農業に進出(02年)して、大赤字を出して撤退したのもこの時期だ。今はジーユーで飛ぶ鳥を落とす勢いの、柚木(前出)はこの農業部門の責任者でもあった。

もちろん、この時期、ユニクロが売れなかったわけでは全くない。だが他の企業なら驚くような利益を本業で出していても柳井は満足しなかった。「破格の成長」を追求する柳井と、ナンバー2である玉塚の「比較的安定した成長路線」をめぐり、両者の関係は微妙になっていった。

上からマネージされると動かなくなる

堂前が「ユニクロUSA」のCEOとなったのはそんな04年の時だ。翌年の05年夏には第一線からの引退をほのめかしていた柳井が会長兼社長として電撃的に復帰した。いま振り返れば、この時期を境にFRは再び、誰もが目を見張るような成長路線に復帰する。

堂前が指揮をしたユニクロの米国初進出は、まさに柳井が本格復帰した直後だ。05年9月出店のニュージャージー店での柳井の期待と数値目標は当然高かったに違いない。しかし当時の話について聞くと「比較的自由にやらせてもらっていました」という。しかも、今でも「柳井さんからは『勝手にしろ』と放っておかれていると、笑う。巷間「柳井王国」とも言われるFRで、こんな言葉をさらりと言えるのは堂前ぐらいのものだろう。

「でも、それはぼくの性格を把握された上で、だと思います。カチカチと上からマネージされると嫌だし、動かない。柳井さんは、分かった上でぼくをコントロールされているんでしょう」。一見物静かではあるが、闘志を内に秘めるタイプなのだろうか。いずれにしても、これは堂前の能力をフルに活かす柳井の方策といえるかもしれない(下に続く)。
 

秦 卓弥 東洋経済 記者

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はた たくや / Takuya Hata

流通、石油、総合商社などの産業担当記者を経て、2016年から『週刊東洋経済』編集部。「ザ・商社 次の一手」、「中国VS.日本 50番勝負」などの大型特集を手掛ける。19年から『会社四季報 プロ500』副編集長。21年4月から再び『週刊東洋経済』編集部。アジア、マーケット、エネルギーに関心。

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