プリンスは、単なる「偶像」ではなく「伝説」だ ボウイ、プリンス、ハガードが音楽界を変えた

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2015年にプリンスは、アフリカ系米国人フレディ・グレイさんがボルチモアの警察当局に拘束された際に死亡したことを悼む「ボルチモア」を作曲した。この事件は暴動と怒りを巻き起こしたが、この曲の「正義がなければ平和はない」という歌詩は、抗議者にとってマントラ(呪文のような文言)となった。

プリンスは音楽の風景を改造したアーティストとしてだけでなく、男であることと女であること、黒人であることと白人であること、エロチックであることとスピリチュアルであることが何を意味するかに関する、拡大された概念を私たちに遺したアーティストとして記憶されるだろう。

ボウイもまた、音楽的、文化的なパラダイムを変更した。1964年に17歳で初めてテレビ出演した際、「長髪の男性に対する虐待行為を防止する協会」の創設者と紹介されて笑いを誘うとともに、自らを、協会を乗っ取ろうとはしない腕白者だと評した。

1月に死去したデビッド・ボウイさん。ロンドンで1992年撮影(写真: ロイター/Dylan Martinez)

1983年にはMTVに対し、黒人ミュージシャンをもっと起用するよう求めた。彼の死の報を受けてラップアーティストのMCハマーは、黒人ミュージシャンのために立ち上がってくれたことへの敬意と感謝の念をツイートで示した。ボウイはまた、ネオナチの台頭や人種差別の恐怖を描き出す「アンダー・ザ・ゴッド」などの曲で、社会の不正にも抗議した。

ロックンロールやニューウェーブ、インダストリアル・ロックなど、目まぐるしく作風を変えたボウイは、革新を行うイノベーターや、その姿を千変万化させる驚異的な存在として知られるようになった。

「ボウイなくしてポピュラーなし」

音楽ジャーナリストのジョー・リンチによれば、ボウイは他のどのロックスターよりも多くの音楽ジャンルに影響を与えた。歌手のモービーは「デビッド・ボウイがいなければ、私たちに馴染み深いポピュラー音楽というものは存在しなかっただろう」と述べている。

アイコン(偶像)という言葉は、絵や像を意味するラテン語と、似顔絵や肖像、鏡の中の像を指すギリシア語「エイコン」に由来する。ポップアイコンとしてのスピアーズの地位は簡単に正当化できる。1990年代にMTVを見ていた人の脳裏には、デビュー曲「ベイビー・ワン・モア・タイム」での、おさげ髪のセクシーな女子高生の姿が刻みつけられているだろう。

彼女はティーンポップの新次元を切り開いて世界的に有名になり、その歌はどこにでも存在し、耳にこびりついて離れなくなった。しかし、彼女は伝説だろうか? おそらく、そうではない。

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