(中国編・第五話)相互尊重とケンカ

 日中の対話を8月に予定通り立ち上げることは可能なのか。2005年5月、北京に着いた私たちが心配したのはまさにその一点だった。反日デモの騒ぎを理由に「延期したらどうか」という声が中国から私たちのNPOにも内々で届いていたからだ。
 私はどうしても8月の開催にこだわりたかった。それには二つ理由がある。
 私にはこの日中対話をアジアの過去を乗り越え、未来に向かうアジアの議論の舞台にしたいという、強い思いがある。そのためにはこの8月という日中にとっても特別な時期に、この対話を開催し続けること自体に意味があると考えていたのである。
 日本にとって8月は原爆の投下や米国の侵攻に敗戦を迎えた特別な時期ではあるが、アジアにとっては抗日戦争に勝利した時期である。私たちは8月の終戦時に太平洋を思うが、アジアの人は日本を考える。この戦争の二つの性格が、アジアの戦後に様々な後遺症をもたらしていた。

さらに言えば、民間の自発的な活動を、政治の都合で変更することはどうしても避けたいという意地も私にはあった。仮に一度でもその前例を認めてしまえば、この民間主導の対話自体が成り立たなくなる、そう思えたのである。
 この決断は今でも正しかった、と思う。ただ、当時の私は、日本の小さなNPOの力でこの8月の開催をどう実現できるのか、途方にくれるほど大きな政治の壁を感じていた。
 この8月こそ日中間は政治の季節であり、日本の首相の靖国参拝問題を巡って緊張感が強まる時期となる。反日デモと暴動の年に、しかもそのまさに政治の季節となる8月に北京で日中対話の舞台を立ち上げるのである。
 だが、最悪な時期だからこそ対話の意味がある。その結論はこの訪中で出すしかないと私は考えていた。

私たちが議論提携したチャイナディリー(中国日報社)は独立したメディアであり、中国の4大メディアのひとつである。中国のメディアは自由な報道を行ってはいるが、事実上、政府の管理下にある。それを管轄するのが国務院(中国の政府)の新聞弁公室である。
 訪中した私たちの目的はこの新聞弁公室の担当大臣である超啓正主任に直接、協力を要請することだった。
 反日デモでさらに混乱した日中関係下で予定通り、この日程での日中対話の立ち上げを行うには中国政府、しかも直接の監督官庁の理解がどうしても必要なのである。
 会談はチャイナディリーがアレンジしてくれた。彼らも、政府がここで了承してくれないと動けないと言う。つまりは、この会談に8月の実現の成否は賭けられたのである。

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部屋には、新聞弁公室の超主任のほか、担当の幹部が揃い、私たち日本側とチャイナディリーと北京大学国際関係学院の首脳が向かい合った。
 最前列には中国式にトップが対面する形で作られた二つの席が並んでいる。その上座に背中を押されるように私が座った。
 相手は現役の大臣でしかも中国のメディアを管理する立場の実力者である。そして私は日本のNPO。場違いのような席の組み合わせに私の体はこわばった。雰囲気を変えたのは、私に同行していただいたアイワイバンク(現セブン銀行)の安斎隆社長と前マッキンゼー東京支社で現在は社会システムデザイナーとして行動する横山禎徳さんの掛け合いだった、と思う。

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