MBA経営代表・山田修(Part1)--転職のコンサルタントの人とは、20年間付き合いましょう

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■ CEOへの道は、職業としての”社長”を選び、第一線で活躍するプロによるトークセッション。将来、経営層を目指すオーディエンスに、自らの経験とノウハウを語る。

--22年間で社長を6回も務めていらっしゃいます。バブルの上り坂の頃から現在に至るまで、いわば激動の時代を経営者として生き抜いてこられました。まず、1987年、37歳でポント・データ・ジャパン(以下ポント・データ)の社長になった経緯を教えて下さい。

私はアントレプレナー(起業家)ではありません。6社ともエージェントに社長職を依頼されました。ポント・データについては、学歴と前社のコンピュータランド・ジャパン(以下コンピュータランド)において売り上げを3年間で23億円から67億円に伸ばした実績を評価してもらったようです。ポント・データを選んだ決め手は、年収です(笑)。

コンピュータランドではマーケティング・マネージャー兼ナショナルセールスダイレクターをやっていたのですが、年収はおよそ900万円。当時、ポント・データは顧客一つとれず苦戦していて、誰も受け手がいませんでした。移れば年収が500万円上がるというお話だったので、無鉄砲な私は引き受けたんです。当時、IT業界は露出が高く、実はほかにもいろいろな所からお誘いがありました。年間30のスカウト話があり、多いときで1日3回も別々のヘッドハンターから電話をもらいました。おかげさまで、マイクロソフト、ロータス、アシュトンテイトと、3大ソフト会社からもお声がかかりました。ただ、私はハードワーカーではないんです。夜を徹して仕事をするような会社はライフスタイルに合わないので選びませんでした。実際、ポント・データでは17時半になると誰よりも早く帰っていましたからね。

--初めての社長業で、心掛けたことはありますか。

バブル崩壊前だったので今よりはやりやすかったのですが、当初は私と秘書兼経理とカスタマーサポートの3人しかおりませんでした。売り上げがゼロでしたから、大事なのは速やかにお客様をとって売り上げにつなげることでしたね。ロイターやブルームバーグなどと同じ業態ですから、国際投資家や投資顧問会社に案内を出してセミナーをやりました。着任して3カ月目ごろに実行したのですが、すぐに野村証券さんが複数のターミナルを使う契約をしてくださいました。売り上げが伸びただけでなく、あっという間に黒字化し、3年で年間売り上げは4億円になりました。数字としては小さかったのですが、社員は10人ほどしかいませんでしたので、4億円のうち3億円は経常利益プラス当期利益という驚くべきパフォーマンスとなりました。

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