一流の物語は「救いなき残酷さ」を避けず描く 「桃太郎」が今なお日本一の昔話である背景

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しかしながら、クリエイターの一流とそれ以外とを隔てる壁は、実はそこなのだ。その壁を乗り越えて、絶対悪を平気で殺せるような物語を作れるようになると、クリエイターとして一流の高みに到達できる。

というのも、一流の物語というのは、どれも一流の残酷性をはらんでいるからだ。一流の物語というのは、どれも救いのない残酷さ、救いのない人殺しというものを描いている。それを相対化し、俯瞰した眼差しから描いている。だから、それをいいとも悪いともとらえておらず、「そういうものだ」という泰然とした態度で描いている。

そういう物語が、一流の物語なのである。その象徴的な存在ともいえるのが「桃太郎」だ。「桃太郎」は、よくよく読まなくとも、その残酷性は一目瞭然だ。桃太郎は、自分の肉親が殺されたわけでもなく、自分の領土が侵されたわけでもないのに、「鬼ヶ島」という相手の領土を侵略して、鬼を征伐する。そして、鬼の宝物を強奪してくるのである。

これはあまりにもひどい話だ。あまりにも無体な話だ。しかしながら、同時に多くの人々の胸を打つ。人々は、そこから大いなる慰めを得ている。

だから、「桃太郎」は今でも名実ともに日本でいちばんの昔話であり、物語であり神話である。人々は、そこに描かれる、ただ侵略され強奪されても文句の言えない鬼という絶対悪の存在を認めている。いや、もっといえば欲している。求めているのだ。

マイナスをゼロにする物語の力

クリエイターの役割の一つは、人々の求めに応じ、彼らを慰撫する物語を紡ぐことである。「慰撫」というと良くないことのように思う方もいるかもしれないが、物語の本来的な機能はそこにこそある。

古来より、物語は人々の不安を鎮めるものとして存続、発展してきた。まず人々の不安ありきだった。だから、それを慰められるようでなければ、物語の存在価値はないといってもいい。物語はけっして、喜びや感動をもたらすために作られたものではない。

物語というのは、人々の平穏な生活にさらなる喜びをもたらすものではない。彼らの不安定な生活に慰めをもたらすものだ。概念的にいうなら、ゼロをプラスにするのではなく、マイナスをゼロに戻す作業である。だからこそ、これだけ多くの人々に必要とされている。それは、衣食住と同じくらい、人間になくてはならない生活必需品なのだ。

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