「許された危険」は高齢化時代に様変わりする 認知症患者の事故に、受験生が学ぶべきこと

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さあ、問題に戻ろう。皆さんならどうお答えになるか。受験生(高校生・浪人生)のレベルで考慮しなければならないポイントは、大きく3つあるだろう。問題を複雑化させないため、ここでは認知症男性に対する家族の関わりの程度については、考慮しないでおくことにする。

そのうえで考えてみると、まず、①この認知症男性の妻と長男には、認知症男性を監督する義務があったのか。そして、もし義務があったとして、②四六時中、家族は認知症患者を監視し続け、いかなる事故もゼロにするべく努力しなければならないのか。

さらに、見落としがちな点であるが、③もし今回の最高裁判決のように、妻と長男に賠償責任がないとされた場合、では、その発生した損害は誰が負担するべきなのか。言い換えれば、ほかに誰か損害を補てんしてくれる人がいるのか、である。

難関大ほど「あちらを立てれば、こちらが立たず」

以上3点を挙げたが、受験生は医学や法学の専門家ではないので、専門的に答える必要はない。いわば、素人の観点から、しかしよく練られ、考えられた答えを出せばいいのである。

私は今年の1月末に、指導している学生数十人にこの質問を投げかけてみた。すると、私の目から見て優秀な受験生は、一様に次のような回答をした。

<回答>
認知症患者を抱える家族の過度の負担を考ると、患者が発生させた損害を家族に要求するのは酷なように思われる。同居の妻が高齢の場合はなおさら。自らも身体が不自由な場合には、認知症患者の行動を抑制することは困難であり、免責されるケースが多くなると思う。
もし、仮に責任を負わされるなど家族が追いつめられるとすると、終局的には認知症患者を戸外に出させないように監禁し閉じ込めておくということにもなりかねない。しかし、これでは認知症患者の人権の観点から問題がある。
ただ一方で、認知症患者が発生させた損害を、家族が何ら責任を負わず一律に被害者が負うという構図も、不均衡であるように感じる。どういう場合に加害者側が責任を負い、どういう場合に責任が免除されるのが妥当かは、条件による。今後、学びを通じより適切な結論が得られるよう分析・検討していきたい。

 

受験生のレベルで言うと、この回答はかなり出来のいいほうであろう。私はよく、難関大の入試になればなるほど「あちらを立てれば、こちらが立たず」という性質のテーマが問われると助言している。本問もその例外ではない。

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