(第19回)<泉麻人さん・後編>放課後を楽しんだ

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(第19回)<泉麻人さん・後編>放課後を楽しんだ

●ダンスパーティに行けず雀荘で補導!?

 中高生活の中で、印象深いのは高3のときの担任だった、体育の先生です。いがぐり頭でがらっぱちなタイプです。高3の時に僕が雀荘で補導され、その先生にすごく怒られたのを覚えています(笑)。その頃はサッカー部にいたので坊主頭です。だから、ダンスパーティなんかあっても、恥ずかしくていけない。それで一人で朝霞のストリップ劇場に行き、ストリップを見ていたら、最前列にその担任の先生にそっくりの人がいて逃げ帰ってきたことがあります。多分別人なのだろうけど(笑)。
 高校1年の担任は、数学の先生でしたが割と文学的な側面を持っている人で、みんなで文集を作ったりしました。そこにパロディ小説を書いたりしましたね。また、倫理社会のとき、現役のお坊さんという先生がいて、その人が面白い説法みたいな話をしてくれたり、ほかにも、英語の教師で自分で身体を鍛え、空手をやっている人がいて、授業の前に瓦を割ってくれるんです。何枚か割った次の日、包帯を巻いてきたことがあって(笑)。
 今思うと、この頃の街並をもっと歩いておけばよかったな、と。貴重な風景の写真が撮れたりしたのだろうと思います。しかし当時は、そうした街並より、女の子のいるディスコのほうがいいに決まってますから(笑)。

●オリジナルCMソング集カセット

 僕は生まれも育ちもずっと東京だったので、大学で各県から人が集まってくるのがとても面白かった。社会が広がりました。広告研究会に入り、夏になると、葉山の海岸で「キャンプストアー」という海の家みたいなものを自分たちで運営します。その店作りのため、5月くらいから土曜日に葉山までみんなで行き、体育会的な宴会をしていました。九州のほうから来た奴がへのへのもへじをお腹に書いてへんな踊りをする。そんなことからも、土地の風土というのを感じました。
 また、文化祭では、真似事のCMを作ったりしていました。サークルだけじゃ満足できず、学校が終わってからコピーライト養成講座に一年くらい通ったりもしていた。その頃録音した「1970年代後期」なんていうCMソングのカセットが今も残っています。

●大人になっても変わらない光景

 学校は楽しかったといえば、楽しかった。一言で振り返るのは難しいですけど、「クラス」という光景が浮かんでくるのが小学校。中学以降は教室というより、その後の「放課後」のほうが印象に残っています。
 各年代の同窓会がたまにあって、面白いと思うことがあります。姿はともかく、話しているうちに、仕草とか癖は当時とまったく変わらないということです。あとは役割。当時、学級委員をやっていた奴は、必ず先生の横にはりついていたり、ガキ大将的な奴は、親父話のなかでも先頭をきって仕切っていたりと、あの頃と同じような情景ができあがっています。

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