(第16回)数学大国江戸の日本~算聖関孝和~(その7)

桜井進

●関孝和の晩年

 晩年宝永元年(1704年)64歳の関孝和は甲府から江戸城に移りました。甲府藩主の徳川綱豊が五代将軍徳川綱吉の世継となり江戸城西之丸に移ることとなって関孝和も同行することになったのです。関孝和は甲府では検地役人、出納担当、会計検査役などをつとめ、江戸城に移った後も御納戸組頭として将軍嗣子家の財産管理を司る管理職でした。ここに数学者としての名声はまったく反映されていなかったといえます。低い俸給に不満を抱くことなく職務を遂行しながら数学道を追求していったのです。

 全国には関孝和のミスをなんとか見抜いて指摘しようとしている和算家が目を光らせていました。前人未踏の数学世界を切り開いてきた関孝和をして心休まる時は生涯ありませんでした。関孝和は娘を二人もうけましたが男の子に恵まれませんでした。関孝和の養子となった新七郎が関家を継ぐことになりました。この新七郎が甲府にもどってからのこと、事件が起こりました。甲府城に賊が侵入して金庫が奪われたのです。そのとき甲府城の番をしなければならなかった新七郎はこともあろうに勤務をさぼり賭博に興じていたのです。これにより御目付役は新七郎に対して重き追放の沙汰が下され関家はお家断絶となったのです。享保20年(1735年)関孝和が亡くなってから27年後のことでした。

一関市博物館所蔵、関孝和肖像画、撮影sakurAi Science Factory


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