外国人エリートが驚く日本の大学の「特殊性」

留学生を震え上がらせる部活文化

こうした違いについて、東京大学東洋文化研究所の教授でプリンストン大学ウッドローウィルソンスクールの客員教授でもある佐藤仁教授は、より中立的な見解を示す。同教授によると、「テーマの性質と教授の経歴によって教え方が異なり、それには正当な理由もある。たとえば、工学部で教えられる基礎数学の授業では、講義の内容とクラスの人数を考えれば、授業は講義型で行ったほうが効率的だが、文学部で教えられる日本文学の授業では、討論を交えた教え方が適している」。

また、佐藤教授は「一部の教授は英語のスキルに自信がないので、講義型の授業であればあらかじめ準備ができるのではないか」とも指摘する。実際、留学生が日本の大学で受けられる講義の選択肢は著しく限られており(たとえば教養学部の場合、昨年9~12月の「Aセメスター」では、847あるクラスのうち、私が所属する英語による学部プログラム「PEAK」の授業は40だった)、留学生が受けている授業だけで日本の大学を語るには無理があるかもしれない。

授業の違いの背景に教育環境の差

米国とアジアのトップクラスの大学で教鞭を執った経験を持つ佐藤教授によると、日米の大学に限って言えば、その教え方の違いは、大学教授の置かれた環境の違いに起因する。より具体的に言えば、日本の大学教授には教育的訓練と準備のための時間が不足しているという。

たとえば、議論中心の授業では進行役が極めて重要である。つまり、その役割を果たす教授は議論の流れに細心の注意を払い、話題が問題からそれていないか取り計らい、最終的に要約しながら誰かの見解で議論を締めくくる必要がある。こうした能力を身に付けるには多大な努力だけでなく、経験とスキルが必要だ。佐藤教授によると、米国では、議論型の授業も取り仕切れるように教授向けの教育準備プログラムがあるが、日本ではそのような訓練はほとんど行われていない。

また、時間的な余裕も米国の大学のほうがある、と佐藤教授は指摘する。アイビーリーグの大学では、ひとりの教授が担当する授業が日本の教授に比べて少ないため、授業の内容をより興味深くするために、授業の準備にかけられる時間が十分にあるという。対して日本では、ひとりの教授が担当させられる授業が多すぎて、一つひとつの授業の準備に全力を尽くすほどの時間がないのが現状だ。

日本の大学と、他国の大学との相違点を認識して、「どちらがいいのか」と「今後どうなるのか」と問うことは簡単だ。それに対する解決策を見つけることも重要だが、それより前になぜ、そのような教育システムが構築されたのか、なぜそのような違いが生じているのかを理解する必要があるだろう。

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