婚約破棄した男は「不誠実なダメ人間」なのか 道徳の退廃を歎く人に欠けている重要な視点

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前にも言ったように、本来哲学は非社会的であり、その結果反社会的要素を育んでしまうのですが、それは、倫理や道徳に関して、徹底的に問いを提起し、思考し続けるからなのであって、この態度そのものが「反社会的」の側に組み込まれてしまうフシがある。

具体的に言ってみましょう。確かに人の生命を大切にするべき理由を挙げればきりがないのですが、同時に、これに反対しようとすればすべて潰せるのであって、両者のあいだにあまり実りある議論は期待できない。

むしろ、それよりこういう例はどうでしょう? われわれは意見に一貫性があるべきこと、そんなに意見をころころ変えてはならないことを学び、約束は守るべきこと、自分が口に出した言葉には責任をもつべきことを教えられますが、これって、なぜ道徳的とみなされているのでしょうか。言葉を変えるに、なせそうしないと激しく非難されるのでしょうか。

すると、(答えがないのではなく)その理由(とみなされるもの)は、意外に単純なところに転がっていることがわかる。それは、そうしないと社会生活がスムーズに行かずに困る、ということです。

借りたカネを返さない人間は「不誠実」?

おわかりのように、Aから借りていたおカネ1万円を私が「明日返す」と約束したのに、その日になっても返さないでいると、人間としてまともではない、とみなされるのですが、「返すと言ったけれど、昨日はあんまりAがしつこく迫るものだから、今朝起きたらいやになった」というのだって、ごく普通の心理状態の変化ですよね。

ここで注目すべきことには「約束を守るべきこと」はごく普通の「心理状態の変化」より優先するとみなされていること、すなわち、「~すべきこと」のほうが「~であること」より優先するとみなされていることです。

やっと準備ができました。哲学者は、こういうときに、はたしてAの態度をいかに理解すべきか、いかに説明すべきか、と真剣に問うのであり、大議論を展開するのです。でもたぶん世間では、大議論が沸き起こることはなく、Aは文句なしに信用のできない、ズボラな、いい加減な、つまり不誠実な駄目人間と切り捨てられてしまう。そして、高校までの倫理学も、やはりそう決めつけるのでしょう。

しかし、本物の哲学者は、ここでこそあらゆる思索を傾ける。私の心変わりは褒められたことではないと知りながら、なぜ、世間(現代日本)ではいかなる弁解も許さずに大上段から私を責めるのか、と問い直す。「人間としてなっていない!」と叫びたいのはわかりますが、それをグッとこらえ、できるだけ冷静に反省してみるのです。

そうすると、Aはこれから私の言葉が信用できなくなるし、そうすると2度と私とは約束できなくなるし、そうすると、私とつきあっていけない……と、どこまで理由を挙げていっても、結局は私と付き合うと、被害に遭うから、一切の言葉が信用できず、気分が悪く、生活が乱されるから……つまり、結局は、Aがソンをするからではないでしょうか?

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