(第37回)数の歳時記~“100”と数学者ガウス~

桜井進

●新シリーズ“数の歳時記”

 広辞苑には、歳時記とは
  1.1年のうち、そのおりおりの自然・人事百版の事を記した書。歳事記。
  2.俳諧で季語を分類して解説や例句をつけた書。俳諧歳時記。
とあります。数の世界には時間がありません。しかし正確に述べるならば、それは“私たちの宇宙に流れる時間がない”ということでしょう。
 この宇宙の森羅万象は時の流れの中に存在します。数はその時の流れを超越して存在します。1はいつまでも1のままであるがごとくです。
 もしかしたらと筆者はひそかに感じていることがあります。数の世界には私たちには感じられないその世界に流れる時間があるのではないかと。なぜそのように感じるのか。それは、「数は生きている」と思うからです。
 命あるものがそのリズムをもつように数もリズムを持っています。まさに生命の躍動感そのものが数にもあるのです。数千年の数学発展の歴史がそれを証明しつづけてきました。
 様々な世界に生きる数たちは、きっとその世界に流れる時間の中に生きているのです。見えないけれど確かに在る数たちとその世界に流れる時間。それが「数の歳事記」です。

●百はたくさんの意味

 100 は百(ひゃく)。「多い、大きい」の意味に用いられます。百景、百選、百科事典など。でも「多い」ことであれば1000(千)、10000(万)とあるわけですから千景、千選、千科事典ともなりますがそうはいいません。では10(十)はどうでしょうか。「一から十まで」の十は最初から最後までの最後の意味で使われています。10 と同じく、100 は、100 %= 10 割=1(すべて)というニュアンスも含んでいるのでしょう。そう考えるてみると、百景、百選、百科事典は「すべて」の意味だということです。10 よりは100 の方が「細かい」です。全体を分割するときにも十割と百分率を使い分けています。十科事典では違和感があります。わたしたちは100 を上のような意味を踏まえて使っているようです。

●18世紀、ドイツ

 200 年前小学校の先生がその意味でとっさに100 を使ったのでした。教室の生徒に向かって言いました。
 「1 から100 までの自然数をすべて足すといくらになるかな」
1 から10 まででは小さすぎて問題にはなりません。100 はちょうどいい「大きい」数だと思ったのでしょう。生徒たちも一生懸命に計算を始めました。
 まさに1+2+3+……と順に100 まで登る勢いだったことでしょう。
 しかし、生徒の中に一人みんなとは別ルートで頂上を目指した者がいました。彼こそが数学の歴史に燦然と名を残すことになるカール・フリードリッヒ・ガウスだったのです。確かにガウス少年は100 はそう低くない山とみたことでしょう。誰もが通る通常ルート、1+2=3、3+4=7、7+5=12、…を同じように100 まで登ることは彼にはつまらないことだったのでしょう。それが計算の名手であったガウスにとってでさえです。
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