音楽は自由にする 坂本龍一著 ~旬の人を引き付ける“屈折した天才”の自伝

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音楽は自由にする 坂本龍一著 ~旬の人を引き付ける“屈折した天才”の自伝

評者 映画監督 仲倉重郎

 「坂本龍一」とは、“天才”と同義であると思う。だが“屈折した天才”というべきであろうか。なにしろ細野晴臣、高橋幸宏の、これまた天才的な2人と始めたバンド「YMO」の一員でありながら、アンチ「YMO」だったというのだから。

1952年に東京で生まれ、リベラルで進歩的だった母親が選んだ幼稚園に、電車とバスを乗り継いで通った。そこで初めてピアノに触れ、音楽に目覚める。小学校5年の時作曲の勉強を始め、ビートルズを知る。中学2年でドビュッシーに出会う。編集者であった父親の影響で早熟な読書家でもあった。

高校時代、新左翼にかぶれ、制服制帽廃止等の要求を掲げて全校ストを指導する。「坂本龍一の原型」はその頃できあがったという。

78年、芸大の大学院を出て「YMO」を結成。翌年8月LA公演。80年ワールドツアー。82年わずか4年で「YMO」は活動を休止。だが、映画『戦場のメリークリスマス』(監督・大島渚)に出演、映画音楽も手がける。83年同映画でカンヌに行き、ベルナルド・ベルトルッチ監督に出会い、『ラストエンペラー』(87年)に出演。音楽も担当し、アカデミー賞作曲賞を受賞。90年にNYに移住する。

「坂本龍一」にチャンスが次から次へと向こうからやってくる。数多くの旬の人との出会いが当人を育てる。それはまた、旬の人を引き付ける力があるということでもある。

あの9・11では、テレビで事件を知ると街に飛び出し、写真をとりまくった。本物の恐怖との遭遇だったという。自分を全否定したくなり、アフリカに渡り、グリーンランドに行った。しかしまた人工的な都市NYに戻って音楽をつくる。

音楽は「坂本龍一」をますます「自由」にし続けるのだろう。

さかもと・りゅういち
1952年東京生まれ。3歳からピアノを、10歳から作曲を学ぶ。東京芸術大学大学院修士課程修了。78年『千のナイフ』でソロデビュー。同年、細野晴臣、高橋幸宏と「YMO」を結成、83年に“散開”。出演し音楽を手がけた映画『ラストエンペラー』(87年)でアカデミー賞作曲賞その他、受賞多数。

新潮社 1785円  252ページ

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